『21世紀の道徳──学問、功利主義、ジェンダー、幸福を考える』

著・ベンジャミン・クリッツァー/晶文社(2021年)

大学の先輩が読んでいるというので知って手にとってみたが、この頃考えている「利他と幸福」の問題と大いにシンクロしていて為になった。著者は日本在住の若き批評家で、サイト連載をベースにしたもの。国内外の哲学者・倫理学者の見解を丹念に検討している。人文学、動物倫理、功利主義、ジェンダー論、恋愛論、幸福論、仕事論がつながっていて物語のように読み進められた。

ジェンダー論については、生物学的な性差を完全に無視することはできないのではないかという立場から、一般に女性が得意とされるケアや共感を過大評価する風潮に異を唱える。多様性を考慮するルールが複雑化すると共感の障害を抱える方への差別となり、「脳神経特性の多様性」に反する(できない人はできない)。また感情が判断を誤らせるケースも多い(身内びいきなど)。理性(抽象的な思考)と感情(物語的想像力)のどちらも必要だというのが本書の結論でもある。

幸福論ではストア派の欲求コントロールが参考になる。目標を内部化して達成可能にすること、地位や財産や家族がなくなってしまうことを想像するネガティブ・ビジュアライゼーション、状況を認識する枠組みを変えて感情を変化させるフレーミング効果はそれぞれ菩提心、無常観、禅に通じる。そして「快楽のトレッドミル(どんどん強い刺激を求めたくなる)」とは異なる「フロー(やりがいのある仕事に挑戦しているときに、その仕事に没頭している状態)」と「コヒーレント(自分の道徳的基準など内面的な要素と、社会における自分の立ち位置など外的な要素の調和)」で幸福が持続できるという。

人類は20世紀になってから情報化社会によって抽象的思考能力が飛躍的に進歩し、人種・性別・性的指向などが自分と違う立場の人にも想像をはたらかせ、黄金律(自分が他人からしてもらいたいことを他人に行い、されたくないことは行わない)を適切に実践できるようになった(道徳的フリン効果)。非道徳は現在にもあるが、過去と比べると「ずっとマシな存在になっている」。このことはロシアのウクライナ侵攻に対する世界の厳しい目から実感できる。「道徳的実在論」(客観的な道徳的真実が存在する)により、戦争だけでなく、身近ないじめ、性差別、人種差別がなくなっていくことを願う。

「戦争にもルールが必要であるという発想や、非戦闘員を殺傷することは道徳的に認められないという考え方が近代以降に強まったことによって、現代の戦争は昔に比べてはるかに多くの道徳的ルールによって雁字搦めにされている。使われている武器の殺傷能力や精度は上がれども、戦争の野蛮さは、原始時代や古代に比べると近代や現代ではむしろ抑制されるようになっているのだ。」

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