『初期仏教――ブッダの思想をたどる』


著・馬場紀寿/岩波新書(2018年)

著者は大学の後輩。最新の研究状況を踏まえつつも、「贈与」や「自律」というような生きた言葉で仏教の本質的部分を描き出している。

まえがきで仏典の読み方として現代的読解、伝統的読解、歴史的読解があるとし、著者は歴史的読解を目指す。アーリア人が定住・都市化する中で生まれた仏教は、既存宗教のバラモン教や、生まれた時代を同じくする唯物論と前提や用語を共有している。天界への再生、諸要素の集合に過ぎないという人間観、輪廻からの解脱といった思想について、どのように意味を変え、新規性を生み出しているか分析することが、歴史的読解である。

『法句経』や『経集』といった韻文の仏典は、最古の仏典としてお釈迦様が実際におっしゃったことに近いという説に筆者は疑問を唱える。これらは阿含経典の小部にはいっており、どの部派にも伝えられている長・中・相応・増支部に対して、後から三蔵に加えられたものと考えられている。そのため「おそらく当時のインド社会に広まっていたものが仏教に取り込まれて、人気を博したものである」とみる。相応部には韻文の諸経典を「外部の諸経典」として批判する記述も引用されている。

後半は四聖諦・五蘊・六処・(五~十二支)縁起といった仏教の基本思想を別々ではなく、総合的に捉えていく試み。基本には、生存は五蘊の集合であって全て苦しみであり、渇望を断ち切ることで輪廻から脱することができるというアイデアがある。「自己は諸要素の集合に過ぎず、諸要素を統一する主体などない」「渇望がある限り、執着が起こり、生存が繰り返し作られる」これが仏教の新基軸であるという。

仏教において「自己の再生産」を停止した「再生なき生」は、自己が輪廻から解放されることではなく、「欲望・生存・無知からの心の解放」であり、「自己を作り上げることの停止」である。涅槃は煩悩の炎が吹き消されることという解説があるが、五蘊=木の枝、執着=燃料、貪瞋痴=火で、涅槃は「燃料の供給を停止して、薪を焼く火が消えること」と説明するので合点がいく。さらに子孫繁栄や生天を象徴するバラモン教の祭火が消えることを暗示しているという。

大乗仏教や日本仏教などその後の展開については本書の対象外ではあるが、「再生なき生」=仏陀成道後の出家生活に焦点を当て、それを仏滅後まで延長したものと考えることができよう。「消滅」と捉えがちな初期仏教の目標を、生き方の根本的な転換とすれば、現代日本仏教まで道の一筋が見えてくるように思われた。

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