人権擁護委員研修で講師だった方が編著者。
東京大学で、毎回さまざまな障がい者やその関係者を招いて行われたゼミの様子と、参加した東大生の感想が綴られている。
人工呼吸器がないと生きられないALS(筋萎縮性側索硬化症)、文字だけ読み取れない学習障害ディスクレシア、医療ケアの必要な障がい児をもつ親、障がい者の就労支援、障がい者の触法行為、精神障がいの幻覚や妄想、障がい者の性欲という7つのトピックについて、解説の後に東大生の忌憚のない感想が記されている。
勉強しかできない、運動が苦手、コミュニケーションが不得意といった東大生にありがちなコンプレックスに加えて、中にはトランスジェンダーや双極性障害の方もいて、障がい者の現実を目にして改めて自分自身を見つめ直している。優等生的な感想にならないよう気をつけて書かれた文は、心の機微を表現する力もあいまって、何か分からないけれども皆で途方に暮れていたあの頃の自分を思い出させる
彼女にはあって僕にはない何かがある。「自由」だ。厳密に定義すればややこしい話になるだろう。だがここではあえて定義せずに進めたい。それは生まれ持った体も生きる環境も周囲の人間も関係ない「自らの精神の自由」とでも言うべきだろうか。目の前で笑いながら話す、常に誰かに押してもらわなければ移動することさえ出来ない車いすの女性は、人生の地に足を付け、その足の指で地面の土を握りしめるように確かな日々を送っている。教室の中ではただ圧倒されるばかりだった。(御代田太一「自由」)
障害者差別解消法が施行されて3年目。自分の同じところがあり、違うところもあり、一括りにできないさまざまな障がい者について、自分と切り離さずに関心を持ち続けていきたい。