仏教の戒律を説く『梵網経』は、上座部と大乗の2種類があります。大乗は昨年読みましたが(http://www.tgiw.info/weblog/2016/06/bonmokyo.html)、今度は上座部のものを読解。まず不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語の後、不両舌、不悪口、不綺語、さらに呪術をしないことなどが詳しく説かれています。修行者に対して「○○すべし」という書き方ではなく、「世尊はこのようなことをしないと世間では知られている」という書き方であるところに、かえって説得力があります。
また、ただ悪をなさないだけでなく、積極的に善を行っているところも参考になります。すなわち不両舌は仲違い人を仲良くさせ、仲の良い人を一層親密にする言葉を語ること、不悪口は愛語を語ること、不綺語は仏の教えのみを語ることと解釈し直されます。初期仏教は、善であれ悪であれ業をなくしていって生前解脱を目指していたという説も考え直さなければなりません。身業、口業のみの記述に留まり、意業について書かれていないところも特徴的です。
どんなに思っても口にすべきでないことは慎み、言ったほうがよいことは積極的に言う、そんな言葉の出し入れが上手な人間になりたいものです。
「修行者ゴータマは生き物の殺害を放棄し、生き物の殺害を離れ、棒を捨て、刀を捨て、羞恥心があり、憐愍の心があり、すべての生き物の利益をはかり、哀れみのこころを寄せる」
「修行者ゴータマは盗みを放棄し、盗みをせず、与えられた物を受け取り、与えられる物だけを期待し、盗み取ろうという心がなく、自ら清らかになっている」
「修行者ゴータマは清らかならざる行為を放棄し、清らかな行為を行い、清らかならざる行為を決して行わず、淫欲と卑俗の行為を行わない」
「修行者ゴータマは嘘を放棄し、嘘をつかず、真実を語り、真実を貫き、変説せず、信頼すべきであり、世間の人々をだまさない」
「修行者ゴータマは中傷する言葉を放棄し、中傷することばを語らず、こちらの人々を離反させるために、こちらで聞いてはあちらで中傷して語ることをせず、あちらの人々を離反させるために、あちらで聞いてはこちらで中傷して語ることをしない。このように離反した人々を和合させ、和合した人々を一層親密にさせ、協調を愛し、協調を好み、協調を喜び、協調を促す言葉を語る」
「修行者ゴータマは粗暴な言葉を放棄し、粗暴な言葉を語らず、温和で、耳に心地よく、愛情がこもり、心に訴え、品位があり、多くの人に喜ばれ、多くの人に好まれるような、そのような言葉を語る人である」
「修行者ゴータマはつまらぬ冗舌を放棄し、つまらぬ冗舌を語らず、時期にかなって話し、真実を話し、利益のあることを話し、教法を話し、戒律を話し、心に残る話を話し、時期を考慮して、話すべき理由があって話し、限度を知って話し、利益の多い話を話す」
参考:中村元監修『原始仏典』第1巻、春秋社