『維摩経』観衆生品を読解。維摩居士(ヴィマラキールティ)という在家信者が主人公で、お釈迦様の弟子たちが次々と維摩居士にやり込められ、最後に文殊菩薩が登場して維摩居士と対話を繰り広げます。この章では菩薩が衆生を救うときの心構え(四無量心)などについて書かれています。
慈(慈しみ)とは熱意を持たず別け隔てなく無限に広がるもの。悲(憐れみ)とは功徳をみんなと分け合うこと、喜(喜び)とは人のためにしたことを悔いないこと、捨(平静)とは幸福を追求しないことであると説きます。あくまで自然体で、人と関わって修行していくという態度はクールです。
後半は有名な舎利弗が天女と話していて女身に変えられてしまう話。いわゆる変成男子説を批判したもので、「一切のものは男にあらず、女にあらず(一切諸法非男非女)」と説かれます。空の絶対的な視点に立てば世間の区別など吹き飛んでしまうという文脈ですが、仏教が男女平等を説く個所として注目したいところです。