先日読んだサンユッタ・ニカーヤの梵天勧請のところが今ひとつ腑に落ちなかったので、法華経方便品を読みました。ここでは、梵天ではなくシャーリプトラがお釈迦様に説法を勧請します。
サンユッタ・ニカーヤでお釈迦様は「欲に汚され幾重にも無知の闇に覆われた人々は知ることがない」と思い、説法をしないことにしていました。法華経でも「仏の智慧はどんな人の理解も超えている」としつつも、最初から「方便」を使って説法をしようと宣言しています。また「心卑しく、邪悪な思想に留まって動かず、苦悩を背負って苦悩の後を追い続けている。私は彼らに激しい憐れみをもつ」と慈悲の心も積極的に示しています。こちらのほうが腑に落ちる気がしました。
方便の一つとして、ご詠歌を挙げているところも注目です(「或以歡喜心 歌唄頌佛徳 乃至一小音 皆已成佛道」)。歓喜の心でお唱えし、上手下手を問わず少しでもお唱えすることを薦めたいと思います。