経典勉強会で十二支因縁を取り上げました。苦しみと無明をつなぐ因果関係をどう説明するか、増谷文雄先生の翻訳を元に、自分なりの訳語で表してみましたが難しいです。
相応部経典十二・二(雜阿含經卷十二・十六)
かように私は聞いた。ある時、世尊は、サーヴァッティーのジェータ林にあるアナータピンディカ園にましました。その時、世尊は、比丘たちに告げて言った。
「比丘たちよ、私は今汝らのために、縁起を分析して説こうと思う。彼らはよくそれを聞いて、考えてみるがよろしい。」
比丘たちは、「大徳よ、かしこまりました」
と答えた。世尊は説いて言った。
「比丘たちよ、縁起とは何であろうか。比丘たちよ、無知によりてエネルギーが生まれる。エネルギーによりて認識能力が生まれる。認識能力によりて精神と物質が生まれる。精神と物質によりて感覚器官が生まれる。感覚器官によりて対象との接触が生まれる。対象との接触によりて感覚が生まれる。感覚によりて渇愛が生まれる。渇愛によりて執着が生まれる。執着によりて存在が継続する。存在によりて転生が起こる。転生によりて老死があり、愁・悲・苦・憂・悩がある。かくのごときがこの苦の集積のよってなれるところである。
では、比丘たちよ、老死(ジャラー・マラナ)とは何であろうか。生きとし生けるものが、老い衰え、朽ち破れ、髪白く、皺生じて、齢かたむき、諸根やつれたる、これを老というのである。また、生きとし生けるものが、命終わり、息絶え、身躯やぶれて、死して遺骸となり、棄てられたる、これを死というのである。かくのごとく、この老いと死とを、比丘たちよ、老死というのである。
また、比丘たちよ、転生(ジャーティ)とは何であろうか。生きとし生けるものが、生まれて、身体の各部あらわれ、手足そのところを得たる、比丘たちよ、これを転生というのである。
また、比丘たちよ、存在(バヴァ)とは何であろうか。比丘たちよ、それには三つの存在がある。欲界すなわち欲望の世界における存在と、色界すなわち物質の世界における存在と、無色界すなわち抽象の世界における存在である。比丘たちよ、これを存在というのである。
比丘たちよ、また執着(ウパーダーナ)とは何であろうか。比丘たちよ、それには四つの執着がある。欲に対する執着、見に対する執着、戒に対する執着、我に対する執着がそれである。比丘たちよ、これを執着というのである。
比丘たちよ、では渇愛(タンハー)とは何であろうか。比丘たちよ、それには六つの渇愛がある。物に対する渇愛、声に対する渇愛、香に対する渇愛、味に対する渇愛、感触に対する渇愛、観念に対する渇愛がそれである。比丘たちよ、それを渇愛というのである。
比丘たちよ、では感覚(ヴェーダナー)とは何であろうか。それには六つの感覚がある。眼の接触によりて生ずる感覚、耳の接触によりて生ずる感覚、身の接触によりて生ずる感覚、鼻の接触によりて生ずる感覚、舌の接触によりて生ずる感覚、身の接触によりて生ずる感覚、ならびに意の接触によりて生ずる感覚がそれである。比丘たちよ、これを感覚というのである。
比丘たちよ、では対象との接触(パッサ)とは何であろうか。比丘たちよ、それには六つの接触がある。すなわち、眼による接触、耳による接触、鼻による接触、舌による接触、身による接触、および意による接触がそれである。比丘たちよ、これを対象との接触というのである。
比丘たちよ、では感覚器官(サルアーヤタナ)とは何であろうか。視覚器官と、聴覚器官と、嗅覚器官と、味覚器官と、触覚器官と、意識とである。比丘たちよ、これを感覚器官というのである。
比丘たちよ、では精神と物質(ナーマ・ルーパ)とは何であろうか。感覚と表象と思惟と接触と意志と、これを精神というのである。また、四大種およびそれによって成れるもの、これを物質というのである。つまり、そのような精神とそのような物質とを、精神と物質というのである。
比丘たちよ、では認識能力(ヴィンニャーナ)とは何であろうか。比丘たちよ、それには六つの識がある。すなわち、眼識作用と耳識作用と鼻識作用と舌識作用と身識作用と意識作用とがそれである。比丘たちよ、これを識というのである。
比丘たちよ、ではエネルギー(サンカーラ)とは何であろうか。比丘たちよ、それには三つのエネルギーがある。すなわち、身におけるエネルギーと、口におけるエネルギーと、心におけるエネルギーとがそれである。比丘たちよ、これをエネルギーというのである。
比丘たちよ、では無知(アヴィッジャー)とは何であろうか。比丘たちよ、苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽についての無智、および苦の滅尽に至る道についての無智である。比丘たちよ、これを無知というのである。
比丘たちよ、かくのごとくにして、無知によりてエネルギーが生まれる。エネルギーによりて認識能力が生まれる。認識能力によりて精神と物質が生まれる。精神と物質によりて感覚器官が生まれる。感覚器官によりて対象との接触が生まれる。対象との接触によりて感覚が生まれる。感覚によりて渇愛が生まれる。渇愛によりて執着が生まれる。執着によりて存在が継続する。存在によりて転生が起こる。転生によりて老死があり、愁・悲・苦・憂・悩がある。これが全ての苦の集積のよりてなるところである。また無知を余すところなく滅することによってエネルギーは滅する。エネルギーを滅することによって認識能力は滅する。認識能力を滅することによって精神と物質は滅する。精神と物質を滅することによって感覚器官は滅する。感覚器官を滅することによって対象との接触は滅する。対象との接触を滅することによって感覚は滅する。感覚を滅することによって渇愛は滅する。渇愛を滅することによって執着は滅する。執着を滅することによって存在は滅する。存在を滅することによって転生は滅する。転生を滅することによって老死は滅する。これがこの全ての苦の集積のよりて滅するところである。