祖父である先代住職の17回忌と、昨年亡くなった祖母の1周忌法要が、19日16時から洞松寺本堂で行われた。
お寺の法事は、檀家さんの法事より準備が多い。導師を務めて下さる和尚さんへのお伺い(「拝請」)、参列して下さる近隣の和尚さんへのお伺い(「披露」)、次第と役割の確認、本堂の準備、卒塔婆書き、控室の準備、お布施・・・一周忌から数えて4年ぶり5回目になるわけだが、前回の反省を書き留めておき、それを見ながら準備を進めた。
とはいえ、1週間前から本山でのお勤め、前々日は奉詠大会、前日は人権擁護委員の支部総会と行事続きで、準備は後回し。それでも何とか間に合ったのは、境内を見まわってくれた役員さん、着々と準備を進めてきた母、お手伝いの嘉藤さん、前日に帰国した叔母、妻、長女といった女性陣のおかげである。私はほとんど、法要の準備に集中できた。
今回の法要のため、物置を改造して新しく和室をひとつ作り、導師の和尚様の控室にした。これまでの庫裏の控室だけでは狭かったためである。和室までの廊下も作ったら、本堂が広く使えるようになった。
また、卒塔婆は8尺のものを大工さんに注文。いつも使っている3尺と同じ縦横比で頼んだら、びっくりするほど大きなものが出来上がってきた。倒れてきたら怪我をしそうなくらいである。長男の太筆を借りて書く。
前日に、導師をお勤め頂くご本寺様から大きな花が届く。これを置いたら内陣から大間への通行ができなくなったので、柱巻きを全部取ってみた。私が住職になってから、柱巻きを取るのは2回目である。すると露柱の聯板が現れ、禅寺らしい落ち着きのある感じになった。
法要は導師が交替して二座。それぞれのお役目の和尚さんたちによって厳粛かつ荘厳な法要となった。「リハーサルなしで、これほど一糸乱れぬ動きができるのはすごい」というのが親戚たちの感想。こちらはただ見ているわけではなく、一緒にお拝をしたり行道に入ったり、焼香したりするのでいつものことながら無我夢中である。
法要が終わってから、中央会館に場所移動して食事。夕方ということもあって、和尚様方にも割合ゆっくりして頂けたと思う。寺役員さんに至ってはみなさん上機嫌で、普段のご労苦を幾分か癒やされたならば幸いである。
今回通して、祖父や祖母への感慨がほとんど湧かなかったのは、時間が経ったせいか、まだ自分のことで精一杯だからか。去る者は日々に疎しにならないよう、こういった機会に生前のことを振り返りたい。