今日、東京港区の曹洞宗宗務庁で行われた布教師検定を受検してきた。
布教師といっても街頭で勧誘活動を行うわけではなく、専ら檀家さん向けにきちんとした法話を行なうための資格である。現在は、梅花流の上級師範を受験する際にも必要になっている。今回受けたのは初級の「令命二等」。
私が梅花流の2級師範を取ったのは改正前の駆け込みで、布教師資格をもっていなかったのがずっと気にかかっていた。しかしいかんせん、何を準備したらいいのか分からない。そこへ今年、地元の宗務所が布教師講習会を開いて下さったので、喜んで参加させて頂いた。講師は、全国を巡回して法話を行う「特派布教師」を長年務めた三浦信英老師である。同じ教区の和尚様でもあり、全4回の講習は和やかで充実したものとなった。
検定は法話実演と筆記試験からなる。法話実演は管長告諭と今年の布教教化方針に基いて5分、筆記試験は専門用語の読み書きと、仏教史・禅宗史のマルバツ問題、曹洞宗宗憲の穴埋め問題、人権啓発に関する小論文と、800字程度の法話である。話す法話と書く法話は、テーマが同じだが別の話題にしなければならない。
講習会でも法話実演があって、そのときは不飲酒戒(お坊さんはお酒を飲んでもいいのか?)について話をしたが、今年の課題とあまり関係がないので変更。今年発表された梅花流の新曲『道心利行御和讃』の1番に基いて話すことにした。ただし歌詞は一切出さず、専門用語は「利行」さえも別の言葉で言い換えることにした。梅花の中に法話があってもよいが、法話の中に梅花があるのは望ましくないとされている。
お釈迦様が生きとし生けるものの幸せを祈り、その慈悲の眼差しは遠く2500年離れた私たちにも注がれている。その眼差しに気付き、また私たちも周囲の幸せを祈れるようになろう。そんな内容である。
講習会では三浦老師から、建前で話すのは三宝を謗ることになること、お釈迦様や道元禅師の言葉をただ紹介するのではなく、自分がどう受け止めているかを話すことをお習いしていた。そこで身近な具体例を出しつつ、自分がどう感じたか、何に気づいたかを積極的に話すことにした。この点、事実を伝えることを主眼とする大学の授業とはまるで異なるため戸惑いもあったが、三浦老師の目線、口調を観察して、そのまま真似をしていくうちに感じが掴めてきたように思う。法事の後にも檀家さんの前で練習。
今日の実演は11人中10番目の発表だったので、みんなの実演を聞いて注意点を確認できたのもよかった。始まる前は緊張したが、実演の最中は無我夢中だったせいか上がらなかった。三浦老師から習ったことを思い出して話ができたからだろう。
検定委員の先生からは、社会経験がずっと豊かな人の前で話すということを意識したほうがよいという講評を頂いた。確かに仏の教えがたとえ深遠だとしても、自分が実践できていないことを話したのでは建前だと思われてしまう。誰にでも別け隔てなく、見返りを求めない利他行を実践しましょうといきなり話すよりは、まずは家族からというほうが実践してみようかという気分になる。
筆記試験の出題範囲は予め指定されているので、道中に読んでおいたがいざとなると迷う。マルバツ問題が特に難しい。「第一回結集は目連を中心に行われた」というのは、摩訶迦葉と阿難なのでバツ。「達磨大師に慧能が腕を切って差し出した」というのは、慧能ではなくて慧可なのでバツ、「道元禅師は帰国後、建仁寺で『普勧坐禅儀』を著した」というのは建仁寺は臨済宗だから違うだろうと思いきやマル、「瑩山禅師は諸国行脚の後、大乗寺を開いた」というのは永光寺が正しいのでバツ(大乗寺は義介禅師)。東大の大学院入試より難しいのではないか(sat, cit, aanandaについて解説せよという問題でとんちんかんな答えを書き、面接で「勉強してないな」と言われたのを思い出す)。
人権に関する小論文は、人権擁護委員での経験や思っていることを書くことができたが、最後の法話ははっきり言ってちゃんと準備して来なかった。あれこれ考えて、東日本大震災被災地支援の経験から、思い上がらずに支援することの難しさを書く。予め準備してきた人は、すらすらと書いて先に退出できたが、私は後ろから数えたほうが早いくらいだった。