今日は米沢の避難者支援センター「おいで」と、山形の避難者交流支援センターを訪問してきた。大震災は、まだまだ終わってはいないことを実感した。
発端は昨年の暮れ、大学の後輩からの電話。お祖母さんが河北町に住んでいて、時々会いに行くので、山形で避難者の支援をしたいと考えているという。寺院の協力も仰ぎたいそうなので、震災ボランティアで活躍している和尚さんを紹介した。
具体的にどんな支援活動をするのか、はっきりした計画を後輩はまだもっていなかったので、その和尚さんと話をしても結論が出なかった。私もあれこれ思案していたが、大学関係者と寺院が協力してできることいっても思いつかない。そこでまずは支援センターで生の声を聴くことになったのである。
米沢の避難者支援センターは、福島から米沢に入ってすぐのところ、万世町というところにある。ここには取り壊される予定だった雇用促進住宅があって、たくさんの避難者を受け入れることができたという。現在は、避難者自信が支援員となってスムーズな運営をしていた。
避難者といっても、部屋を一応借りておいてほとんどは福島で暮らす人から、こちらにほぼ定住している人までさまざまな生活があった。ほとんど住んでいない人と、ずっと住んでいる人とでは意識も自ずと異なる。そのため自治会を立ち上げるのがたいへんだったという。津波ですぐ避難した人がしばらくして故郷に帰ったとき、避難しなかった(できなかった)人とぎくしゃくしてしまうという話を思い出す。
ちょうど毎週行われているお茶会があったので参加させてもらう。浪江町から避難されているお父さんとあれこれ話した。震災から1年近く経つが、帰る見込みも立たず、保障も一向に進まない。自分が生きられるのはせいぜい10年。何も進展しないまま寿命が終わってしまうかと思うと、やるせない思いに駆られるという。この言葉には胸をつぶされる思いがした。
その一方でこうも考えた。今まで生きてきた価値を失ってしまった人に、仏教が別の価値を提案できるかもしれない。やり場のない怒りや諦め、そして一時しのぎの気晴らしではなく、心の底から救われ、安らかに毎日を送る道を、お釈迦様は示していたのではなかったか。そうだとすれば、寺院にも出る幕はある。
傾聴ボランティアというように、忠告や助言を言いたくなる気持ち抑えて聞き役に徹するのが基本だと思う。しかし法話は、忠告や助言とは少し異なり、そこで得たヒントをもとに、自分の問題を解決することを目指す。お釈迦様は自身を医者に喩え、薬を渡すけれどもそれを服用するか否かは患者次第であると仰った。
例えば、避難所近くのお寺を借りて、法話を聞く会を催すという方法が考えられる。法話をする人は和尚さんでも、大学で仏教を教えている先生でもよい。母子世帯が多いことを考えて、託児を頼んでおく(意外にも、若い女性で仏教に興味のある方は多い)。終わったら「僧職男子」とお茶会。これが今日考えたアイデア。
後輩は、避難者の子供たちの教育を心配していた。親に生活の余裕がなくて子供に教育の機会が与えられていないのではないか。これに対し山形の支援センターでは、避難者対象の塾があったら需要はあるが、責任をもって無償で長期間続けるのは難しいだろうという。かつては寺子屋として教育を担っていた寺院も、現在では協力しにくくなっているが、実現すれば素晴らしいことだと思う。
後輩はこれからしばらく県内に滞在。山形大学の先生や震災ボランティアの和尚さんと話をして、アイデアを練ることにしている。これまで県内でのボランティア活動することを全く考えていなかったが、私もこの機会に考えてみたい。とりあえず米沢の支援センターは、本当に居心地がよかったのでまた行くつもりだ。