9月17日に横浜・鶴見の総持寺において、前副貫主・斉藤信義老師の本山葬が行われた。昨年亡くなった直後に行われた密葬、今回の本山葬、さらに再来月に鶴岡の善寶寺と正法寺で本葬が行われることになっており、合計4回もお葬式を行うわけである。
修行時代の癖で今でも「方丈さん」と呼ぶが、イレギュラーな修行期間を認めたり、結婚式にお越し頂いたり、奨学金の世話をして下さったりと、私のような若僧にことさら目をかけて下さった。同郷の志(実は私の本家が方丈さんが生まれた大蔵村のお寺の檀家という縁もある)として、また大学の後輩として、博士論文の執筆や研究書の出版、大学への就職など、私に大きな期待を寄せて下さっていたが、その期待にこたえることが何一つできないまま、この世を去られたのはつくづく残念だった。
そんなわけでせめてお葬式には皆勤しようと参列を決めた。朝一番の新幹線で本山に向かう。鶴見駅から徒歩5分の道に迷った末の到着。受付は全てノートパソコンの端末で行われていて、領収書がすぐにプリントアウトされてくるというハイテクぶり。システム管理専門の和尚さんもいるそうで、これだけIT化が進んでいるお寺もないのではないだろうか。総持寺は能登から100年前に移転したお寺で、新しいものをどんどん取り入れるという姿勢がもともとあるのかもしれない。
昼食会場は260ものお膳がずらり。控え室もいくつかに分かれており、数えきれないお坊さんが集まっていた。私の行った控え室では善寶寺で修行していた仲間や、御詠歌仲間など、久しぶりに会う顔ぶれが並ぶ。お亡くなりになってもう1年近くになるので、葬儀というより法事といった風で、みんな和やかに談笑していた。これも方丈さんの縁に今なお結ばれている証であろう。
1000畳敷きの大祖堂で法要は行われた。ただでさえ広い上に、室中という奥の間に詰めて座っているので、読経と焼香になるまで、どれだけたくさんの人がいるか分からなかった。式は大勢の焼香に対応するためか、弔辞弔電を切り詰め、三仏事だけにしてあった。奠湯が総持寺副貫主、奠茶が永平寺副貫主、秉炬が総持寺貫主という最高の顔ぶれである。
曹洞宗では修行と悟りは同じものであると説く。そして悟りとは解脱である。であるならば、この世で修行し続けた禅僧はもうすでに如来なのであって、衆生とは交わらない世界に行くのではないか、遷化などしないのではないか、などと法要中に考えていた。だとすれば心の世界でしかお釈迦様に会えないのと同様、方丈さんにももうお会いできない。でも、方丈さんがこの世に残していったものはたくさんある。
「而今を重ねる」という言葉がどなたかの弔辞の中にあった。過去や未来にとらわれず、現在の一瞬一瞬に気持ちを込めて生きることができれば、私でも方丈さんのような生き方に少しは近づけるのかもしれないと思う。