人間に生まれ変わる

昨日の日記で、亡くなった人は葬儀までに成仏するというモデルを提示した。この場合、人間に生まれ変わるということがどう組み込まれるかを考えなくてはならない。
成仏するということは、如来であるお釈迦様のいる兜率天(いわゆる極楽)に生まれるということで、我々の住む人間界とは境を異にする。そしてお釈迦様が再びこの世に戻ってこないのと同様に、こちらに戻ってくることはない。極楽は心の中にあるという禅宗の教えもあるが、それでも凡夫たちの心とは区別されるだろう。
そうすると、死後の道を2つ考えなければならない。成仏して本当の意味での還らぬ人となる場合と、人間界に戻ってきて生まれ変わる場合とである。この区分は日本人なら感覚的に受け入れられる考え方だし、インドの輪廻説の嚆矢である「五火二道説」や、道元禅師の『正法眼蔵』道心の巻からも支持される。
ただし、生まれ変わるとしても昨日の日記の1番目のモデルを採用しない以上、生まれ変わるのは人間界か天界(天国)とする。「人身得ること難し」といって、仏教では古来より人間に生まれ変わる確率が低い(つまり動物や虫に生まれ変わるほうが多い)ことを述べてきたが、少なくとも受戒して仏教を実践する者は、人間に生まれ変われると信じたい。
それでは人間に生まれ変わる場合、いつ生まれ変わるかというと、インド的な49日以内と日本的な33年以降という考え方ができる。
49日以内だとすれば、魂がどこかのお母さんの胎内に入って約9ヶ月、ちょうど一周忌のあたりに生まれてくる計算になる。かなり早く、遺族は悲しむ必要がなくなる(野島伸司『スコットランドヤード・ゲーム』)。ただ、親戚に出産予定がない場合、赤の他人にならざるを得ないという問題はある。
一方、33年以降だとすればずいぶん長く、1世代飛ばして生まれ変わってくることになる。亡くなったおじいちゃんはひ孫くらいになるだろう。この考えなら一族の中で再来する希望が持てるかもしれない。
先日どちらがいいか、お寺に来ているおばあちゃん方に聞いてみたが、80年以上も生きているので33年くらい休みたいそうである(笑)。一方、若い人やせわしい人は49日以内を選びそうだ。本人の希望が閻魔様に通るかは分からないけれども。
この生まれ変わりもたくさん繰り返していれば、やがて嫌気が差してくるか、すばらしい縁にめぐり合ってもう生まれ変わることがなくなるのであろう(佐野洋子『100万回生きたねこ』)。そのときが本当の成仏である。
こうして考えると、「衆生仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る」の「諸仏」は、将来仏になることは約束されているが、まだ輪廻していたい存在、つまり「菩薩」と考えたほうがよさそうだ。亡くなった人々はぜひ菩薩として生まれ変わり、自他共に幸せな人生を送ってほしい。
以上、この頃法事でいろんな話をしているうちに頭の中が混乱してきたので整理のために記す。

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