伴僧(2)

つい最近葬儀屋さんを辞めた知り合いから聞いた話だが、この頃、葬儀代の不払いが増えているという。葬儀なら多少朝早くとも夜遅くとも慣れているが、後日集金にいって払ってもらえないのが疲れる。そこは葬儀後の食事は扱わない葬儀社だが、食事まで出すところは額も大きくなり、ローンを組ませなければならなかったりしてたいへんだろうという。
世は不況である。特に地方は厳しい。そんな中、親戚の言うがままに、あるいは自身のプライドから大きい(「世間並み」の)葬儀を出して首が回らなくなっている家が増えているのは容易に想像できる。
だとすれば、葬儀費用もカットできるところはカットするのは当然の流れと言えよう。そのひとつが伴僧費用である。伴僧を減らしても、葬儀の流れが大きく変わることはないからである。
しかし葬儀は宗教行事であるので、純粋にコストでは割り切れないものである。なのにお金の話が先に立ってしまうのは、お寺の日ごろからの教化不足も挙げなければなるまい。伴僧やお布施の功徳がいかに大きいかを説いたって、単なるセールストークに取られてしまいかねない。ましてや最初からお金の話ばかりするのでは文句も言えない。説法とともに、「応供」たる僧侶の生活態度がダメでは、安ければ安いほどいいという話になりかねない。
というわけで、伴僧が減っているのは、葬儀社のアドバイスもちょっとあるかもしれないが、それよりも(1)都会風の様式の広がり、(2)経済状況の悪化、(3)僧侶の教化不足が大きい要因だと考えられる。
来月に市の仏教会で取り上げられるので、この考察を披露して先輩方の意見を仰ぎたい。

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