僧侶が結婚するのは日本では当たり前のようになっているが、世界的に見れば日本と韓国のごく一部にすぎない。そんな日本で仏教ブームといっても、教義的なものが主流で戒律が省みられることは少なかった。しかし持戒は釈尊以来の仏教の伝統。本書は、インドから近現代日本に至るまで通史的に戒律の歴史を追う。新書とは思えぬ内容が詰まっている。
鎌倉時代のある僧侶の誓文から、当時、僧侶の間で男色が一般的であったことが分かる。その僧侶は、36歳にして過去に95人の男性と交わったことを告白し、100人で止めることや浮気をしないことなどを誓っている。相手は童子や稚児と呼ばれる垂れ髪の男性で、貴族出身で10歳から寺に入り、給仕など僧侶の身の回りの世話をする者たちである(牛若丸のようなイメージ)。絵巻にもそのような姿の童子が、僧侶と同衾している図が残っている。「男色をしなければ、欲望が溜まって悟りを開くことができない」などと正当化されることもあった。
日本仏教史ではあまり触れられないが、鎌倉時代に起こった叡尊による戒律復興運動(新義律宗)や親鸞による無戒宣言は、こうした男色の広まりを背景にして起こったものだと筆者は見る。確かに10代から坊主にカマを掘られたり、掘るのを見聞していればこのままでいいのか?と思わないほうが不思議だ。
この流れで、中国から招聘された鑑真による東大寺・筑前観世音寺・下野薬師寺の国立戒壇、それを否定して最澄が作った延暦寺の大乗戒壇、さらに叡尊らによる自誓受戒(仏・菩薩から直接受戒する方式)、それに刺激を受けた延暦寺の興円・恵鎮、戦国時代末の西大寺系の明忍、江戸末期に道徳と持戒を説いた慈雲といった戒律復興運動が説明されている。復興しても復興してもすぐに廃れてしまうのは、戒律を守る難しさを物語るものであろう。
筆者はあとがきで、現代の日本仏教にも戒律復興が必要ではないかと述べている。「さまざまな欲望を断って(断とうとして)、利他行に邁進する僧の生きざまは、新たな生きるモデルを生むのではないでしょうか。」「己を捨て、私財や時間すべてをなげうって活動できるのは、独り身のしがらみがない方々ではないでしょうか。」
本当のことである。結婚している僧侶はみな離婚し、これからは僧侶たる以上結婚してはいけない、とまでするのはもうほとんど不可能だろうが、少なくとも「日本の僧侶は牧師だ」とか「大乗仏教が最もソフィスティケートされた姿」などと下手な正当化をせず、破戒していることにただ恥じ入るべきだろう。飲酒や蓄財も同じ。そうでなければ、戒名など与える資格はない。