朝日新聞の記者として「こころ」欄を担当していた著者が、仏教に惹かれ早期退社して得度、曹洞宗の僧侶となった。参禅会から始まって僧侶として生きるまでの一大顛末記。
東京国際仏教塾に入り短期修行、家の近くのお寺や金沢大乗寺での参禅、ついに発心して出家得度する。そして金沢大乗寺に1年間の安居。送行してからは得度したお寺の徒弟として法要や葬儀に参加しつつ、東京国際仏教塾の事務局長に就任した。
伊豆の小さいお寺に住まうも金沢大乗寺の堂長であった板橋禅師から本山に呼ばれる。僧侶になるのは僧侶の子どもがほとんどという現代日本で、本当の在家から僧侶になるには志と縁の両方がなければならないことがよく分かる。
筆者を支えたのは仏教の教え。特に「一切衆生悉有仏性」である。無我と自灯明の相克も、存在するものが互いに許し合っているということも、いただきますやごちそうさまの心も、この教えが源になる。理性をもって仏教に正面から向かい合い、悩み、自分なりの答えを出していく姿に心打たれる。
今生きている生が意に沿わないからといって目を閉じて、しょせん迷いの世界のことだと敬遠して別の生や涅槃の世界を思い描いたりしてもなんにもならない。「仏あれば」という条件が、「仏あり」という確定に変わるまで修行を続ける以外になすべきことはない、と。(p.178)
本書は仏教塾で行ったインド仏跡巡拝の旅、退社から参禅まで、得度から送行まで、現在と説法、その後の所在と5つの内容からなる。団塊世代で今の生活に何かもやもやしたものを持っていたら、この本が光明になるかもしれない。
著者は実は小学時代の恩師のお兄様。現在はうちのお寺の比較的近くに庵住まいしている。著者献本に感謝。