住職からのクリスマスプレゼントは塔婆。毎年この時期は、法事をしていなかった檀家さんに塔婆を配って歩く。
年末まで法事をしていない檀家さんには、これまでいろいろな対処をしてきた。はじめは突然お邪魔して押しかけ法事。家の人の慌てぶりを見てこんな罰ゲームみたいなのはやめようと思った。それから合同法事に切り替えたが本堂が寒すぎてこれまた罰ゲームみたい。そこで今年は予め本堂で独りでお経を読んで、塔婆を配るという方法にしてみている。
法事は、お寺や親戚から言われてするものではないと思う。先立った家族に感謝を捧げ、自分の生活を反省してこれからの誓いを立てる。これが法事の意味である以上、忘れていたとか、年忌を数え間違えていたというのならともかく、自発的にしないと意味がない。
そういうわけで11月くらいで法事を締め切ってしまうお寺もあるが、私は今年もぎりぎりまで檀家さんからの連絡を待った。しかしあまり年の暮れも迫っては気の毒ということで、今日明日の連休で全部を終えたわけである。残りはわずか4、5件だけであり、1日2日で回れる範囲内である。
回る先では「申し訳ありませんが勝手にこちらで供養させて頂きました」と「お具合はいかがですか」の2つを述べるように心がけ、押し付けがましくなく、相手に罪悪感を抱かせたりしないように気をつける。それでお布施を頂けるかどうかは別の話である。法事は、お布施をもらえるからやっているのではなくて、あくまで住職の修行なのだ。
玄侑宗久氏は「墓参や法事をしない檀家にはどう対応する?」という質問に、いろいろいていいんじゃないかと答え、「こんにちは」「お元気ですか」「いや、べつに用事じゃないんですけど、近くまで来たもので」というようにちょっと檀家さんに出かけることを勧める(『お坊さんだって悩んでる』)が同感。金の切れ目が縁の切れ目では檀家さんも浮かばれまい。
幸いにして行く先々では笑顔で迎えていただいた(内心は焦っているのかもしれないが)。信頼は日々の積み重ねから。先日の東京ボーズコレクションのワークショップで、末木先生が「葬式のときの説教ほど聞きたくないものはない。無理してしゃべらなくてもいい」と厳しい意見を述べていらしたが、お葬式のときだけ顔を合わせてしたり顔で説法されたって、聞く耳なんてもたないのである。
願わくはこの功徳をもって普く一切に及ぼし
我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを