今日は築地本願寺で開かれた東京ボーズコレクションに行ってきた。
11時に着いたが、本堂から穏やかならぬラップが流れてきたので避難。まず虹の子供広場「ノッポさん&キミちゃんとあそぼう!」を見る。結構子どもが来ていた。手話付き「大きなノッポの古時計」を一緒に歌う。
出店でうどんを食べてから、12時30分からの東京ボーズコレクション法要『世界の平和を願う』へ。お坊さんたちが列を組んで登場し、中央のタラップを行って帰ってきてから法要を始めるという、まさにコレクション。天台宗、真言宗、浄土宗、浄土真宗、臨済&曹洞宗、日蓮宗、日蓮宗尼僧の順番で各自10分ほどのパフォーマンスを行った。
天台宗はおだやかな声明、真言宗はリズミカルな声明、浄土宗はヨーデルのような技巧的な声明、浄土真宗は西洋音楽的な歌、臨済&曹洞宗は質実剛健な読経、日蓮宗は気合がこもった木剣、尼僧はさわやかな声明とバラエティに富んでいた。身内びいきかもしれないが、曹洞宗のお坊さんの低頭が一番低かったのが嬉しい(ほかの宗派は30度くらいでピタリと止める)。
それからみんなが出てきてパイプオルガンと太鼓が盛り上がる中で散華。各自がそれぞれの散華文(らしきもの)を唱えていて、低声も響く。クライマックスは華が舞い散りそれはそれは見事なものだった。
すっかり心奪われて見とれていたが、次のお坊さん学習塾「10年後のお寺をデザインしよう。」がもう始まっている時間。急いでかけつけると末木先生が時間を大幅にオーバーして講演しているところだった。相変わらずだなぁ。
次に小谷みどりさんが急速に変わっている現代の死のあり方をお話。病院死が増えたため遺族は生前に「予期悲嘆」を済ませており、葬儀は親睦がメインになっていること、葬儀は「直葬(儀式をせずに病院から直接に火葬納骨してしまうこと)」は都内で急速に増えている(2〜3割とも5割とも)、これからの檀信徒は「住職のファンクラブ」でしか成り立たないことなどを述べインパクトがあった。
おふたりとも共通していたのは、葬式仏教を儀式だけでなく、臨終から遺族が立ち直るまでの長い期間に推し進めるべきだというものだった。特に末木先生が「社会活動に力を入れすぎて身近なところがおそろかになっている」という指摘が心に残った。
休憩後は各宗派の青年会などで活躍する若手僧侶のパネルディスカッション。10年後お寺が生き残るには、目的意識のないイベントをただやるのではなく成仏とは何かとか内省していかなければならないという天台宗・本間師の考えには大いに共感。このあたりが出家者でなくなった日本僧侶の切り札になりそうだ。
質疑応答では教団は次世代に対してどんな支援をしているのかを聞いたが、それは末木先生も感じていたようで「教団の中間部あたりからの支援が必要」というコメントを述べられた。個人のスタンドプレイではどうしても限界がある。教団が若手の創造的な活動を支援することによって点が線になっていくと思う。ちょうどこの「東京ボーズコレクション」のように。伝統教団はとかく保守的なものだが、こうしたイベントを支援する真宗はエライ。
年配の僧侶から見ればきっと眉をしかめるようなイベントだったかもしれない。しかし見に来ている若い人たちが、葬式で後姿を見る以外に僧侶を見ることがあるだろうか。今回のイベントは、多くの人にとって僧侶という存在を再発見するよい機会になったと思う。ぜひ来年も。そしてできたら曹洞宗でも(無理だろうな……)。