あるインド哲学者の死

大学の先輩で,信州大学人文学部の谷澤淳三教授が20日にお亡くなりになったらしい.過労ということだが,まだ50歳前後だと思う.ここ1週間ほど,そのことでいろいろ考えている.
谷澤先生の専門はサンスクリット文法学.バルトリハリという5世紀ぐらいの学者が書いた『ヴァーキヤ・パディーヤ』という書物の解読から始まり,インド哲学一般に広範で刺激的な研究を続けられてきた.論文に「インド哲学で説かれたうそつきパラドックスの議論」「パーニニ文法学派の固有名論と〈フレーゲのパズル〉」など.「ゴジラは存在しないから存在する?」というタイトルでの講演もあった.
授業でサンスクリット文法学の基礎を教わったのは3年ほど前だったろうか.そのとき先生は黒板に「インド哲学」と板書し,「哲」のところにバツ印をつけて,今のインド哲学者に哲学をしていない人の何と多いことかと嘆いてみせた.「西洋哲学をやらなきゃインド哲学はわからない」とも.

インド哲学の研究者が,もし「哲学」というものを志しているのならば,当然インド哲学における諸説を批判的に見るということが必要になると思うのですが,どうも現状を見ると,細かな文献学(もちろんそれはそれで非常に価値あることですが)にのみ精を出したり,かと思うと「ディグナーガ・ダルマキールティ教」の信者(と呼びたくなるよう)になってしまったり,せっかくの哲学的思索の宝庫であるインド哲学が宝の持ち腐れになってしまいかねません。(信州大学ホームページより)

権威なんてクソくらえ!といった威勢のいい授業で,学会でも女子学生を引き連れて若々しい姿でいつも見ていたので,亡くなったというのがまだ信じられない.お得意の冗談なのでは?といまだ思っているくらい.
今回のショックは,インド文学の上村勝彦教授が『マハーバーラタ』全訳に取り組んでいる最中に癌でお亡くなりになったときの衝撃よりも,中観思想の江島惠教教授が駅で吐血して亡くなられたときの衝撃に近い.
上村先生はすでに多数の研究や翻訳を出版されているが,谷澤先生や江島先生は,その力量からすればもう1つや2つ,優れた研究を大部の書物にまとめることができただろう.そう思うとインド哲学という虚学に人生を捧げるその目的や幸せがいった何なのか分からなくなる.
少年老い易く,学成り難し.思うところあってしばらく手をつけていなかった博士論文に,重い腰を上げた.

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