昨日は恒例の大般若会(だいはんにゃえ)。お隣のご寺院と毎年交替で行っているため、2年に1回当番が回ってくる。住職になって5回目にもなり、法要の進め方を心配することはなくなったが、その代わり油断して抜けが多かった。
今回準備を忘れていて危なかったのは導師机の香炉と鈴。それとご寺院にお礼のお金を包む可漏。坐具は前回忘れそうになったがセーフ。法要が始まる直前まで硯を擦ったり走り回ったり。
もっとも、大般若会だけに集中できない年だったこともある。前日は庫裏の建築について、屋根はどうする、壁はどうするといった打ち合わせに3時間。当日の朝は9時から長女を保育所の一時託児(赤ちゃんは妻がつくばで見ている)。それからお隣の寺の葬儀の伴僧。
葬儀を11時半に終えて、12時からようやく大般若の準備に取りかかる。お札を並べたり、灰ならしをしたりしているうちに13時。次々とお客様がやってくる。ここで可漏を書いていないことに気づき、大慌てで硯を摺る。書き終えてすぐ着替えると、もう法要開始の時間だった。
法要は一部、経本を入れる木箱の蓋が開かないなどトラブルがあったものの無事終了。終わってお手伝いいただいたご寺院にご挨拶、引き続き総代・役員との会議、飲み会。庫裏の改築については、段取りが悪い私にしては何とか順調に進んでいるようだ。
終わったのは19時で、酔いを醒ましながら後片付け。ちなみに長女は17時に母に迎えに行ってもらった。久しぶりに同じ年代の子どもたちと遊んで楽しかったようだ。
翌日まで、私は9時間、長女は11時間も眠ってしまったのは言うまでもない。
さて大般若会だが、若年層の寺院離れ・神社離れはこんな田舎にも足をしのばせてきているようで、参詣者は激減、寄付額も伸び悩んでいる。役員が寄付をお願いにいくと「大般若って何?」と訊かれるそうなので今回は小さい紙を作って添付した(下記)。次に当番が来る再来年にはもう少し賑やかにできるような手をほかにも打ってみたい。
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新春のお慶びを申し上げます。
「大般若会」は、『西遊記』で知られる三蔵法師が漢訳した『大般若経』六百巻を読んで除災招福を祈祷する儀式です。一巻ずつ全て読めば何日もかかるため、近隣のご寺院さんと手分けして転読(ぱらぱらめくって読む)します。このお経を読んだり聞いたりすれば、天の神様がひれ伏し、悪魔は退散し、諸仏菩薩は常にお守り下さると説かれており、その功徳は限りがありません。
仏教では「縁」という人と人のつながりを重んじ、助け合って仲良い暮らしを送る中に幸せを見出します。草岡地区の「大般若会」が全戸にご参加をお願いしておりますのも、みんなが幸せになってこそ、各人が幸せになるという考えに則っております。今年一年の皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
平成十九年元旦 住職
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