お正月三が日は例年通り。朝のご祈祷でも年始客のご接待でも、つらいとも楽しいとも感じなくなってきているあたり、スキーマが形成されたのかもしれない。そういうときこそ、惰性にならないようにしたいと思う。元旦は「檀那を敬うこと仏の如くすべし」を意識しながら接待申し上げた。
元旦に届いた有道会会報に「公益法人制度における宗教法人としての対応と課題」という興味深い記事。
昨年6月に「一般社団法人法」と「公益社団法人法」が制定され、平成20年12月までに施行されることになっている。これによってこれまで一律だった公益法人が、簡単に設立できる一般社団法人・財団法人と、(組織や会計面での)厳しい基準をクリアして認定される公益法人に分かれるという。
優遇税制を受けるには、後者に認定される必要がある。ここでもし寺院などの宗教法人にもこの法律が適用されるならば、厳しい基準をクリアするか、それができなければ法人税を払わなければならない。
講演をした曹洞宗顧問弁護士によれば、この法律が適用される可能性は10?20%だという。理由の第一は憲法に定められている政教分離規定。これで国が寺院の公益性を認定したり、監視したりすることに歯止めがかけられる。
「だから皆さんは、高祖様の聖典と言われる正法眼蔵とともに憲法20条1項を頭の上に両方の聖典としてあがめてもよいと思います。ほんとうにそのぐらい皆さんを守ってくれる非常にいい武器なんです。他の学校法人等の公益法人にはありません。憲法が守ってくれるんです。皆さんを。」
そしてもうひとつ、適用される可能性が低い理由は徴税コストだという。この法律を寺院に適用したとして、大寺院はすぐに組織を整備して公益法人に認定されるだろう。それがままならない中小寺院から徴税してもたかが知れているというのだ。
「公益認定を満たすような大寺院からは取れないわけだから、一番お金を取りたい所から取れないで零細寺院からばかり取ることになるから。」
ただ可能性が0でない理由は世論である。葬儀や法事のお布施をいくらいくらと規定し(対価行為)、そのお金で贅沢な暮らしをしていては、いくら給与分は所得税を納めているといっても何でお寺から税金を取らないんだという話になるのは無理もない。
「世論というのは移ろいやすいので、世論を敵に回すとよろしくないというので、言動は皆さん要注意ですからね。それぞれ、さすがご住職は違うという日々の清らかな暮らしをしていただかないと。」
……なるほどー。それからというもの、自分のお寺の公益性とは何だろうかと考え始めた。
新法が適用されるか否かに関わらず、寺院が宗教法人として非課税になっているのは、国に代わって公益・公共の福祉を果たしているからである。
確かに大事な家族を喪った遺族に、葬儀や法事を通じて前向きに生きる道を見つけてもらうというのは公共の福祉と言ってよい。しかしそれだけで十分なのだろうか。特定の檀家さんに偏っていては公益といえないのではないか。
世論が公益とみなすものには地域に開かれた寺院をめざして坐禅会やイベントなどを開いたり、老人施設を訪れたりボランティアに参加したり、非戦運動を展開するなどのいわゆるエンゲージド・ブッディズムなどがある。ボードゲームなどによる子育て支援は、昨年8月の「今どき寺子屋体験」で少し手ごたえをつかんだ。
ただ、ここまでくると住職と寺族だけでは限界があるのも事実。人の縁をもっと深くして、お寺づくりを進めていきたい。それが今年の抱負です。