お盆明け

睡眠時間3時間ちょっとで午前中に梅花講の法話、その後に法事1件、お昼を頂いて帰ってきてほっとしているところに訃報が入って枕経1件。祖母と母と叔母は肘折温泉に出かけていったので一人でお留守番をしている。
お盆の期間の法事では『仏説盂蘭盆経』をお客様と一緒に読んでいる。祖父が「お盆中の法事用経本」と書いた箱にしまっていたので、それを見つけて以来毎年使っているわけだ。
『仏説盂蘭盆経』はお盆の行事の根拠になったお経。その中で釈尊の弟子の目連尊者が神通力であの世を見たところ亡くなった母が餓鬼界に落ちているのを見つけ、釈尊に助けを求める。
釈尊は修行僧が雨季の修行を終える7月15日に修行僧を集め、供養して祈願してもらうとよいとアドバイスした。それを実行したところ、母親が餓鬼界から救い出されたため、今後7月15日を父母の幸福を祈る行事とした、という内容。
このお経、インドから伝来したものではなく中国で作られた偽経(ぎきょう)であることが分かっている。じっくり読んでみると確かにインド撰述にしてはおかしい表現がある。
「時に仏十方の衆僧に勅し、皆先ず施主家の為に、七世の父母を呪願し……」とあるが、出家者である目連を「施主家」と呼ぶのはおかしい。これでは在家になってしまう。
「初めて盆を受くる時、先ず安じて仏の塔前に在らしめ……」まだ釈尊が生きているときの話なのにもうストゥーパ(仏舎利塔)が建っているとは!
基本的に在家と出家の区別がめちゃくちゃである。繰り返し読むうちにだんだん気になってきた。
そもそも家出人である出家者にとって、捨ててきた家族にどう責任を取るかというのはなかなかに難問である。釈尊は家族を出家させて教団に入れるという方法を取った。
道元禅師の見解も一定しない。
一切衆生斉しく父母の恩のごとく深し(『隋聞記』3-16)」
と言って自分の家族にのみ関わることをよしとしなかったり、
母儀の安堵活命をも支度して仏道に入らば、両方倶によき事なり(『隋聞記』4-10)
といって家族を大事にするよう薦めたかと思えば、その直後に、
老母たとい餓死すとも、一子を許して道に入れしむる功徳、あに得道の良縁にあらざらんや(同)
と見捨ててもよいようなことを言っている。いろいろ言っておいてあとは自分で考えなさいと。
日本で初めて、僧侶が家族をもつ出家在家というスタイルが生まれたのは、家族と祖先を大切にする『仏説盂蘭盆経』を作らせた東アジア世界の儒教的伝統のためだけでなく、その芽はすでに釈尊からあったのかもしれない。
私も幼い子どもを残してインドに2年間旅立った身なので、こういうことはよく考える。父親不在の責任は、一緒にいられる間に精一杯のことをするぐらいしかない。明後日家族が山形に来るが、どれぐらい家族サービスできるかもう不安だ。
明日は1週間ぶりに何もない日。来客が少なかったらホームページでもいじろう。

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