昨日とほぼ同じく法事3件、棚経18件。うちお茶を頂いたところ半数。
「お茶どうぞ」の言葉は何か相談したくて言っていることもあれば単なる社交辞令のこともあるので、実際にお茶を頂くかどうかの見極めはなかなか難しい。
判断材料はまず家族がいるかどうか。当主とお茶を出す奥さんがいてスタンバイしていたら留まる。当主が留守なら帰る可能性が高い。あるいはいても食事中だったりすれば帰ることにする。
次に準備の出来具合。気がつけばもう机にお茶とお菓子が出されているならばお茶を頂く。反対に、今道具を出してきたばかりという感じならば帰ったほうがよいかもしれない。
最後に軽く断った後の反応。「もう遅いですから」などと曖昧なことを言った後、「いいじゃないですか!」と強い口調で薦めるならば留まる。「一服ぐらい召し上がっていったらいいのに……」と口を濁す程度なら帰る。
何年も続けていると、だいぶ本音が分かるようになったが、まだ下手なのがお布施の頂き方。お茶を断りつつお布施が出てくるを待っているのはとても格好が悪い。お茶を頂かないことにしたならば、玄関にゆっくり向かいつついつ引き止められてもよいようなさりげなさが大事。
もちろんお布施なしでも帰る。お盆は稼ぎ時だねと言われるが、私はお布施を期待してお経を読んでいるのではない。あくまで死者の冥福と生者の安心が目的。お布施はもらって当たり前という顔をしていてはダメだ。
「布施なき経は読むべからず」という言葉があるそうだ。お経を読んだらお布施をもらえという話らしいが、研修会で講師が「思わずお布施をあげたくなってしまうようなありがたいお経を読めという意味だ」と仰っていた。
誠心誠意努めていればお布施は自然と付いてくるものなのである。それを履き違えてお布施が第一目的になり、信頼を失っている僧侶の何と多いことか。
明日も法事3件。棚経はあと2件だけ残っているが、寺院さんと親戚へのお盆礼がある。明日でお盆はおしまい。