ジョークのレトリックをロシア・ジョークやユダヤ・ジョーク、江戸小咄などの実例を交えながら分析。チャレンジコーナーでオチを予想する問題がついているが、題名の通りジョーク力がつくかは分からない。
それはさておいても、ユーモアとエスプリの違い(ユーモアは感情に訴えるもので、エスプリは知性に訴えるもの)や、ジョークの分類(言葉遊びからブラックまで10種類)など、体系立てられていて面白い。
笑うためには多くの前提(「ジョークのトポス」)が必要とされる。フランス人にとってのベルギー人は馬鹿(インド人にとってのシク教徒もそうだ)、ヨーロッパ人にとってのアメリカ人は無作法の代名詞なのだ。それが社会的差別にもつながっているのだが、内輪うけほど面白がられるのはそのせいだろう。
「ベルギー人を数時間あそばせる手軽な方法とは?―両面に「裏を見よ」と書いた紙をあたえさえすればいい。」
日本のジョークは言葉遊びが多いという。それは同音異義語が多いという特徴と、それをもとにしてできた掛詞の高い評価からだ。でも、近年はオヤジギャグと言われるなど、「うまい事言う」のはあまり評価されないかもしれない。
私も幼い頃からウケ狙いが好きだったが、おかしさの条件である「ほどほどの」「優越感、ズレ、解放」がうまくいかず、人を実際に笑わせるにはなかなか至らない。特にこの頃は加齢のせいか、自分を落として笑いを取るというパターンが減ってしまっている。
「自己を笑う人間は自分の限界を心得ている。誇大な自己幻想から醒めている。そして愚かな自己をいとしんでいる。」……もっと自分を笑えるようになろう。