仏教ブームだなどというけれども、寺院のもつ危機感は近年増している。過疎化と個人主義化による檀家制度の変容、お寺を中心としてきた地域コミュニティの崩壊、葬儀社主体の葬儀、無宗教を標榜する世代の成長……世の中の動きに無自覚なまま旧態依然としていてはお寺も潰れる時代がやってきている。それにどうしていくか。
インタビューは宮坂宥勝・真言宗智山派管長、青山俊董・愛知尼僧堂堂長、島薗進・東大教授という豪華な顔ぶれ。曹洞宗・浄土真宗・日蓮宗から3人の青年僧が匿名で本音をぶつけあう座談会、子弟教育を考えるフォーラムなど、生の声を聞くことができる。
僧侶として大事なことは慈悲の心や実践であり、若い人には教理よりもそちらを培う機会を増やしていかなければならないというような話になっている。具体的にはボランティア活動や、ターミナルケアへの参加である。
それは道理だが、かつて起こった「禅主学従論」のように、僧侶にとって仏教学はいらないという話になってくるとすれば由々しき問題である。座談会の中でも「学者は学者の考え方しかない」という話が出てくる。
勉強が嫌いな僧侶はたくさんいるだろうが、嫌いなら嫌いでかまわないから、勉強している僧侶を妨げるべきではない。理論と実践の両方がかみ合うためには、もちろん個人の中に両方があることが望ましいけれども、教団としてみれば両方にエキスパートがいて手を取り合うことが肝要となるだろう。