サルカール(政府)
〈あらすじ〉
みすぼらしい身なりをした初老の男がサルカール(アミターブ・バッチャン・写真左)を訪れ、涙ながらに娘のことを訴える。娘はある若い男にレイプされたが、その男は無罪放免となり、娘は自殺してしまったという。無言で話を聞いていたサルカールは、法の網を逃れたその男に、手下を使って私刑を加える。
サルカールの本名はスバーシュ・ナガレ。マフィアの親玉だが、警察も政府も役に立たないインドでこのように庶民の声を聞き、絶大な支持を集めていた。皆から「サルカール(政府)」と呼ばれるのはそのためである。
サルカールには2人の息子がいた。長男のヴィシュヌは映画制作の仕事をしており、妻も子供もいるがヒロインに恋をしていた。次男のシャンカル(アビシェーク・バッチャン・写真右)はアメリカ留学を終えて帰国したばかりだったが、アメリカで知り合った恋人は彼の一家のことを知って恐れをなす。どちらも葛藤を抱えており、一家は決して一枚岩ではなかった。しかしシャンカルはやがて恋人よりも一家を取ることを決意し、サルカールの右腕となる。
ある日、ドバイから腕利きのヤクザ、ラシードがやってきた。彼はサルカールと手を組んで力をつけようとしていたが、あっさり断られる。そこでラシードは、かつてサルカールの支持者で影で力をつけていたヴィシュラムの一味になり、サルカールの排除を試みる。長男のヴィシュヌに、ヒロインが俳優と付き合っている映像を送り、怒ったヴィシュヌは白昼堂々とその俳優を撃ち殺してしまう。サルカールはヒロインを支持し、ヴィシュヌは勘当されて、ヴィシュラムにかくまわれた。
それから州首相が「サルカールをのさばらせない」と言ったのを機にヴィシュラムは額を打ち抜いて暗殺し、その罪をサルカールになすりつけた。ヴィシュラムはその後に州首相となるが、一方サルカールは庶民の支持を失い、逮捕されることになってしまう。留置所にはサルカールの命を狙うヴィシュラムの手下。次男のシャンカルはそのことを警察にかけあったが取り合ってもらえず、ヴィシュラムのところに行って殺されそうになったところを何とか逃げ出して、サルカールの命を救った。サルカールは撃たれるが急所を外して九死に一生を得た。殺し屋を留置所に入れた警察には世間の非難が集中し、サルカールは保釈金を払って自宅に戻る。
もうサルカールを排除する手段はないのか。すっかり困ったヴィシュラムに、参謀役のサードゥ(修行僧)がかくまっていたヴィシュヌを送り込むことを提案する。ヴィシュヌは一家に復縁を申し出、そして夜にサルカールの命を狙う。しかし間一髪でシャンカルが入り、兄であるヴィシュヌを叩きのめす。そしてヴィシュラム一味に「サルカールは殺した」と報告させた後、その実の兄を殺してしまう。「オレは、兄さんを殺した…!」と涙ながらに家族に言うシャンカル。
そしてシャンカルの復讐が始まる。油断したヴィシュラム一味を1人ずつ殺していくのである。ラシードはドバイに渡る船で鎖でコンクリートにつながれて、生きたまま海に沈められた。最後にヴィシュラムのところに行き、「ラシードは死んだ。お前のこれまでの悪事を全て白状して逮捕されろ。もし娑婆に出てきたら殺す。」こうしてヴィシュラムは失脚、サルカールは再び庶民に手を振って元気な姿を見せた。しかし息子を失った妻は「どうして家族で殺しあわなければならなかったの」と悲嘆にくれている。遠くをみつめるシャンカル。
〈感想〉
ラーム・ゴーパール・ヴァルマ監督は、インド映画界でも異色の存在だ。マフィアものが得意で、シリアスなストーリー展開のため歌も踊りも一切なし。パーカッションだけの強烈なBGMと目だけ口だけの超接写で、登場人物の迫力や事件の壮絶さを描写する。圧倒された。
映画の最初に、この映画をコッポラ監督の『ゴッドファーザー』に捧げるという監督の言葉が出てくる。確かにインド版ゴッドファーザーだった。サルカールのアミターブ・バッチャンがマフィアの親玉で、仁義なき戦いを繰り広げる。でもテーマは抗争よりも、サルカール一家の葛藤と衝突に焦点が当てられていたと思う。暴力シーンは好きではないが、さんざん暴力シーンが出てきたにもかかわらずあまり嫌気がささなかったのは、必ず悪い奴だけが報復され、無差別の暴力がなく、そして家族の絆が事件のたびに問われていたためであろう。
後半は勘当された長男のヴィシュヌが刺客となってサルカールの命を狙う。一方次男のシャンカルは必死にサルカールの命を守り、やがて兄を殺すことになる。さらにサルカールの妻、ヴィシュヌの妻と子ども、そしてシャンカルに思いを寄せる幼なじみの女性がいて、危険にあうサルカールを案じる。忠実な手下もたくさん護衛しているが血は水よりも濃い。家族以上の絆をもっているようには描かれていない。日本でも韓国のように血よりも濃い兄弟仁義みたいな話にならないのがインドらしい。
バッチャン親子が共演するのは『バンティ・オール・バブリー』に続いて2作目だが、今回は本当に親子の役を演じている。寡黙だが目で語る父、感情を出さずに淡々と行動する子、2人とも演技を抑えていたのがよかったと思う。アミターブが大げさな演技をすると品がなくて興醒めだし、アビシェークに感情の細やかな表現をさせると大根なので、どちらもちょっと謎の人物感が漂うくらいがちょうどいい。
映画館で見るべき映画。