西インド地区日本語弁論大会に昨年に引き続き質問係として参加する。今年は去年よりインド人の本音が聞けて面白かった。
コルカタ、プネー、チェンナイ、デリーと4つの地方で行われる日本語弁論大会は、それぞれ上位者がデリーの全国大会に出場、優勝すれば日本旅行が贈られる。審査員は全て日本人で、丸暗記かどうかを見分けるために質問係がいる。会場費、審査員や質問係の接待、それに日本旅行とずいぶんお金がかかっていそうだが、スポンサーは不明。大会終了後の食事会は、去年より豪華なところだった。
今年のプネー地区の優勝者は、ジュニアグループで「きれいな川をいつまでも」という題で発表した女性と、シニアグループで「笑ってはいけない」という題で発表した男性。この男性は去年ジュニアグループで優勝している。採点基準は内容よりも言語運用能力に重きが置かれているが、どちらのグループも実力伯仲だったため、内容も幾分か評価対象になったようだ。
「きれいな川をいつまでも」は、去年ヒマラヤ山脈にヤムナー川の水源を見に行った話から、川の大切さ、汚染、そしてきれいにするためのボランティアの話と、きれいにまとめていた。質問で「なぜインドで川は母とか神様と言われているのか」と訊くと、「人の命を育むから」という見事な答えを返したことも大きいだろう。「人間がよくないことをたくさんすると、がまんづよい川も、時々洪水になって、自分の怒りをあらわすにちがいないと思います。その時、川はひどいとみんなに言われますが、実は、川より人間がひどいのではないでしょうか。」
「笑ってはいけない」は落語だった。小ネタを出して笑わせておいて、そのたびに「笑ってはいけない」としめる。小ネタはヒンディー語のダジャレだったりして審査委員にはチンプンカンプンだったようだが、会場は爆笑の渦で、それに押されて点数が上がったのかもしれない。質問係としても、野暮になりそうでまともな質問ができなかった。「もうひとつ面白いことがよくあります。それは、似ている発音の言葉です。例えば、レストランへひとりで行ったとき、ウェイターに『ひとりまえですか』と聞かれたら、『あたりまえですよ』と答えられる。…笑ってはいけない。」……「おひとりさまですか」または「いちにんまえですか」と聞くんじゃないかというのはおいといて。
内容的に心に残ったのは「学ぶのに年をとりすぎるんじゃないの」。子どもの頃、お父さんは単身赴任なのにお母さんは毎朝早くから大学に通っていた。娘の髪をみつあみにするのは、前の晩のうちに済ませていた。大学を卒業する前に結婚させられて、子育てが一段落してから勉強を再開したのだと言う。そして今、私が結婚して2人の息子を持ちながら、NPOで働いて日本語を勉強している。お母さんの時代にお母さんが言われ続けた「学ぶのに年をとりすぎるんじゃないの」を今は言われないのがうれしいと。心温まる物語である。
それから「あばたもえくぼ」。発表者には彼女がいる。「美しくてかわいい」彼女がどうして私を愛するのか質問したら、「私にとって人がどのように見えるかよりその人がどんな心を持っているのかが一番大事なことです。だから、あなたを愛して私は何の損もしていません。実は、私が何を得たのかあなたにはわからないかもしれません。」…ヒューヒュー! 「人は誰でも心の中に自分の恋人の絵を描いています。でも、時々そのイメージと合わない人も、好きになったら恋人になれます。ですから、計画を立てて愛するのは無理だと思います。」お幸せに。
ほかにも今年はダイエットすることに決めた話や日本人がホームステイしたときの話なども面白かったが、建前ばかりで退屈だった去年よりも実体験に基づいているのがよい。その原因は、どうやら去年から印日協会の日本語学校で教えている小野さん(私ではない)のお陰らしい。小野さんは元教師で退職後プネーにいらっしゃった。日本語クラスでは英語を一切交えず、質問も日本語でさせている。そしていつも体験に基づいた話を書くように指導しているのだという。それでいて温厚な人柄で生徒の信望も厚い。
インド人が教える日本語ではどうしても限界がある。確かにインド人の言語能力は高いが、言葉は生き物であり、先生方が習った一昔前の日本語はもう古くなっていることが多い。だからと言って若者が崩れた口語を教えるのも問題だろう。そういう意味で、教師経験のある年配の日本人が、しっかりと教えるのは一番上達が早い方法かもしれない。
それにしてもプネーには日本人が多い。ムンバイには日本人が200人しかおらず、しかも減っているという。人口がムンバイの5分の1しかいないプネーには日本人が50人以上おり、しかも増える気配を見せているというのは、大したものではないだろうか。