映画(19)シリアス

ヴィールとザーラーVeer-Zaara(ヴィールとザーラー)
〈あらすじ〉
パンジャーブの花畑を駆け抜ける乙女。再会に心を躍らす男。駆け寄る彼女が目の前までに来たとき、彼女は銃で撃たれ倒れる―ここではっと目が覚めた。そこはパキスタン・ラホールの冷たい監獄。インド人のヴィールはスパイとして投獄され、22年の獄中生活を送っていた。まもなくその裁判がやってくる。弁護士のサーミヤはインタビューを始めた。22年の沈黙を破って次第に口を開き始めるヴィール。
パンジャーブ出身のヴィールはインド空軍レスキュー部隊として活躍していた。ある日、バス転落事故である女性を助ける。彼女の名前はザーラー。パキスタンに住んでいたが亡き祖母の遺灰を聖河に流すべくやってきたのだった。休暇をもらったヴィールはザーラーと道中を共にし、祖母の遺灰を無事に流した。ザーラーはお礼に何かと申し出、ヴィールの故郷を一緒に訪れることになる。
パンジャーブの田舎にやっとたどり着くと、父母を幼い頃に亡くしたヴィールの育ての親、叔父母は健在で暖かく迎えた。そしてザーラーの訪問がきっかけとなって女学校を作り始めることになる。子どものように可愛がられ、夜の踊りも楽しみ、すっかり気に入って帰るザーラー。それ以上にヴィールも彼女を愛し始めていた。叔父も「パキスタン人だろうと、日本人だろうといいじゃないか」と励ます。ところが再び帰ることを誓ってパキスタン国境近くアタリ駅まで来たとき、迎えに来ていたのはザーラーの婚約者だった。ヴィールは彼女のために一生を捧げると愛を告白し、2人は別れる。
パキスタンに戻って結婚の準備が進むが、ザーラーはヴィールの言葉を思い出し、自分もヴィールを愛していたことに気がつく。いつも近くにヴィールがいるような気がして、次第に正気を失っていくザーラー。心配した使用人のシャボーは、意を決してヴィールをパキスタンに呼び寄せる。2人はしばしの再会を喜び合うも、婚約も済ませた結婚は家族のために避けられず、再び悲しい別れとなった。
インドに帰るバスに乗ったとき、ヴィールはパキスタン警察に逮捕される。ザーラーの婚約者が嫉妬して彼を捕らえさせたのだった。ザーラーを人質にとり、ヴィールをラートルという別の名前に仕立て上げて投獄する婚約者。さらにヴィールが乗ろうとしていたバスは途中で崖から落ちて乗客は全員死亡。ヴィールは死んだことになってしまう。
そしてまた監獄。22年の歳月はヴィールをすっかり老けさせてしまっている。しかし今もザーラーを愛する彼は、彼女の命に関わるため彼女に決して言及しないように頼む。こうしていよいよ裁判が始まった。サーミヤはヴィールが本当の名前であることを認めさせようとするが、決定的な証拠がない。何よりヴィールがこれまでずっとラートルと呼ばれてきたために、証人もみんなヴィールが本当の名前だと思っていなかった。
そこで次の公判までにヴィールの故郷を訪れることにしたサーミヤ。しかしもはやヴィールの叔父母は死去していた。学校の前で途方にくれていると、「ザーラー!」「シャボー!」の声が聞こえてくる。何と、ヴィールの叔父が設立した学校を、ザーラーたちが引きついで子供たちを教えていたのであった。ヴィールが逮捕された後ザーラーの両親が亡くなり、政治的な利用価値がなくなったザーラーたちは結婚も破棄されてパキスタンを出ていたという。
再び裁判所。遅れてやってきたサーミヤの後ろにはザーラーが来ていた。22年の時を超えて感動の再会を果たすヴィールとザーラー。ザーラーが実際に現れたことで裁判は勝訴、ヴィールは晴れて無罪放免となる。そして2人は故郷パンジャーブに帰っていった。
〈感想〉
 実は2回見てしまった。先行発売されていたCDの音楽は早逝の作曲家モーハンが生前作ったものをアレンジしたといういわくつきで、現代の音楽にはない独特の魅力を秘めている。まずこれが気に入ってずっと聴いていた私は、それぞれの音楽の映画での使われ方に感動してしまったのが1回目。音楽にあわせてミュージカルシーンを作ったのだろうが、逆にミュージカルシーンに合わせて音楽が作られたとも見えるように音楽と映像が絶妙にマッチしていた。75才を迎えたラタ・マンゲーシュカルおばあちゃんは若干声が枯れて低くなったような気もするが、実際にザーラー役のプリーティ・ズィンターが口ぱくで歌うと違和感がない。それよりもサーミヤ役のラーニ・ムケルジーの声が前より悪くなったような気がするのは気のせいか。シャールク・カーンは白髪染めのせいか髪が前より茶色くなった。
 2回目は音楽を再び楽しみつつ、台詞と筋書きに注意を払って見る。パンジャーブのシーンではパンジャービー語、パキスタンのシーンではウルドゥー語が頻出するので分からないところが多かったが、ところどころは何となく分かった。最初から最後まで、観客を泣かせよう泣かせようとして作られているのがよく分かる。1回目は映像の美しさに感動して胸がつまったが、2回目は別れの悲しさと出会いの喜びにいちいちぐっと来た。
 昨年のディワーリーから3ヶ月上映されているが観客は1ヶ月も過ぎないうちからまばらになり、同じプロダクションのヒット作ハム・トゥムドゥームの足元にも及ばない人気の低さだ。これはおそらく最初から最後まで延々シリアスに進む展開に原因があるのだろうと思う。ザーラーの父親が娘が見知らぬ男と抱き合っているのを見て卒倒し、そのまま危篤状態になってしまうシーンが笑いどころになってしまうほど。私はホモネタなんかを使って必然性のない笑いを取らないでほしいと思うが、映画を見に来る大方のインド人はまず笑いたくて来ている。彼らにとっては退屈な映画に違いない。
 DVDが出たら、字幕をにらめっこしてやり取りをもっと分かるようになりたい。そうすれば登場人物の心の機微が見えてきてもっともっと感動的になると思う。このところDVDを購入していろいろ見ているが、巨匠ヤシュ・ラージの大作は、期待に違わぬ涙々の3時間だった。

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