ヴァラナシ(2)学会

さてヴァラナシに来た一番の目的は、駅近くのサンプールナ・アーナンダ・サンスクリット大学で開かれた「全インド東洋学会」である。インド各地で2年に1回開かれ、今年42回を数える由緒ある学会で、参加者は3,000人にものぼる。そのほとんどがインド人で外国人は我々を含めて4、5人しかいなかったのではなかろうか。
ヴェーダ、哲学、詩学、写本学、宗教学、東南アジア、コンピュータなどいくつかの部会に分かれて1人5分ぐらいずつ、原稿を読む。ヒンディー語と英語が半々といったところ。質は玉石混交もいいところで、ほとんどは石の方だ。博士号をもっている人でも、中学生の感想文でもありえないような要約を語るだけだったり、ほとんどマッドと呼んでいいようなこじつけだったり。








正面の白いテーブルには年配のパンディットが座る。左から2番目の赤い布を肩にかけているのがシュクラ先生。結構重鎮らしい。
パンディット会議

しかしもともとそのような発表を期待してきたのではない。今習っているシュクラ先生が参加するパンディット会議が一番の楽しみだった。インドに散らばるパンディット(バラモン教学の伝統的な教師)たちが一同に集合し、サンスクリット語だけで議論をする。議題は予め配布されており、六派哲学と文法学それぞれについて3つぐらいずつ。
これがカルチャーショックともいえる刺激だった。まず伝統的な方法なのか地べたに円くなって座る。司会が名前を呼び上げて、1人ずつ5分間ぐらいの発表。原稿を見ている人はほとんどいない。「誰々の見解によれば、この定義は〜〜。しかし〜〜という別の定義もあって、この2つは相容れない。それをどのように解決するべきか、私は考えました。」まず恐ろしいまでの記憶力。一息では言い終わらないような長い定義を早口で、一気にすらすらーっと話す。実際定義を言い切らないうちに息が切れてしまう場面も多かった。そしてそのしゃべるスピードは、内容の難解さも手伝って常人にはとてもついていけない。
しかしさらに恐るべきことに発表が終わると、いや発表が終わらぬうちから、一斉に他の人たちが反論し始めるのである。話に付いていくだけでも骨が折れるのに、それに対して「いや、それは違う! なぜならこの定義は〜〜と解釈すれば問題はないからだ」「そうではない! 誰々の〜〜という解釈でそれはすでに解決されている」云々と理知的に反論していく。
その剣幕にはただ圧倒されるばかり。声の大きい方が勝ちなのだ。カミナリ親父がぶち切れたとしても、ここまで迫力は出ないだろう。マイクがなくても耳にびんびん響くため、中にはマイクを取り上げられている人もいた。理知的なだけではダメで、発言権を取るためには声の大きさもなければならない。授業では家の外まで声が響くシュクラ先生でも、反論を最後まで聞いてもらうのは難しいようだった。
これだけの声を張り上げたら私はとても正気ではいられない。シュクラ先生が休み時間に「これがインドの議論なんだよ」と笑いかけてきたのに頷きながら、理知的に考えながら怒号を発するというのはいったいどういう頭の中なんだろうかと訝しく思った。とにかく、かっこいい。
さて、インド全国から3,000人も集まってくるのだから開催地はたいへんである。サンプールナ・アーナンダ・サンスクリット大学ではグランドにじゅうたんを敷いて食事会場とし、特別に大きな鍋で料理を提供していた。宿泊施設としては眠っていた学生寮を修理して対応。そもそもホテルに泊められるような予算はない学会だから(参加費は5日間の食事・宿泊費・駅からの送迎・学会誌込みで1人2000円程度)、ほとんどの人が大学の中で生活していたわけだが、よく収容できたものである。







むき出しの電線(左上)、貸出のバケツと水桶(左下)、ずれているかんぬき(右下)に注目。おまけにドアのたてつけも悪くて、怒りのキックをお見舞いした跡がある
ナヴィーン・ホステル

その代わり、私がI氏と一緒に泊まった「ナヴィーン・ホステル(新寮)」は筆舌に尽くしがたいものだった。低予算旅行の経験が長いI氏も、「これまでで最低から2番目の宿」という。まず第一に、名前の割に全く新しくない。「それは相対的に新しいとか、単なる名前だけの話じゃないのか」と惨状を聞いたバフルカル先生は仰っていたが、「ナヴィーン」の響きは空しい。
次に、この学会に向けて修復をしてきたのだろうが、それがまだ終わっていないどころか、学会中ずっと工事の音が絶えなかった。しかも外壁のペンキ塗りとか、どうでもよいところは完了しているのに、トイレやシャワー室、電気の配線など肝心なところが未完了なのだ。我々が宿に着いて最初にしなければいけなかったことは、バケツと水桶の貸出の手続きを取ることだった。水道は中庭の中央と、シャワー室にあるだけ。もちろん、お湯はない。
部屋を案内されてI氏がリュックサックを下ろそうとしたそのとき、I氏の背中から火花が飛び散り、煙が上がった! 見るとそこにはむき出しの電線が。「そこは危ないから気をつけてね」と係。コンセントをつけないなら電気を流すな! 事故で感電死しても補償金は50万円というこの国で、電線の下で寝るのは寝返りを打つのも怖い。
棚は埃で真っ黒、窓の格子にはガラスがなくて吹き抜け、やけに狭いのに無理やり入れたベッドが2つ。もともとあったらしい机と椅子はドアの前に無造作に投げ出されている。眠るとき以外はいたくない部屋だった。早速蚊取り線香や飲み水を買いに出かけることになる。
ところがさらに難関が待ち受けていた。ドアに錠をくくりつけるかんぬきがずれて設置されているのだ。蹴りを入れて無理やり入れようとしたら、かんぬきはグニャリと曲がった。ようやく錠をかけることはできたが、防犯にまるで役に立たないことは目に見えていた。
こんなところに4泊も泊まることは無理。I氏とその結論に達するまで時間はいらなかった。その日はもう遅かったし、1泊なら話の種になるだろうということで泊まってみることにはしたのだが、そのためには外の闇酒屋でビールをたっぷり飲んで、部屋についたら即ダウンという状況を作らなければならなかった。

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