千万(ちよろず)の 後の世までも 咲きかおる
御法(みのり)の花の御親讃えん
仏教の四大聖地のひとつに数えられるサールナートは、釈尊が初めて説法を行ったところ、つまり仏教発祥の地である。悟りを開いて仏陀になった釈尊は、苦行にこだわって鹿野苑(ろくやおん、パーリ:ミガダヤ、サンスクリット:ムリガダヤ、ムリガダワ)にいた5人の仲間のところに赴き、この世は全て苦しみであること、その原因は無知であること、苦しみをなくすためには真実を知るべきこと、真実を知るためには8つの正しい行いを実践するべきことを説く。いわゆる苦・集・滅・道の四聖諦と正見・正思・正語・正行・正命(正しい生活)・正精進(正しい努力)・正念(正しい注意)・正定(正しい坐禅)の八正道である。ときに釈尊35才。45年にわたる説法がここから始まった。
生き地獄のヴァラナシからわずか10キロ、オートリキシャーで40〜80ルピーほどで行くことができる。ヴァラナシとはうって変わって閑静な落ち着いたところだ。ヴァラナシの学会の前日、ここにある国立チベット研究所に宿泊していた私とI氏はまる1日を使ってのんびりと過ごした。
ここのメインは巨大なストゥーパ、ダーメカ(サンスクリット:ダルマチャクラ)である。6世紀ごろに作られたといわれているがやけに大きい。中に入ることはできない(入口がない)。朝には近くの寺院からお坊さんが集まってきてお経を読んだり、プラダクシナー(右回りで1周する崇拝、右遶(うぎょう))をしたりしていた。
ストゥーパの前には僧院跡があり、その中央にムールガンダクーティ寺院(根本香積寺)の跡がある。釈尊が初めて説法を行った場所にちなんで建てられたもので、今は土台のみ姿をとどめる。その隣りにはアショーカ王柱も残っている(頭部は博物館に保存されている)。ストゥーパの反対側にも同じ名前の寺院があるが、これはスリランカのマハーボーディ教団が名前を借りて20世紀に建てたもの。古さはないが日本人絵師が描いた仏陀の生涯の壁画があり、またすぐ隣りには菩提樹と説法シーンを模した人形があって、こちらの方が見応えはある。
寺院跡の背後が鹿野苑で、囲いの中ではあるが今も鹿が生活している。ちょっとした動物園になっており、口を開けたまま全く身動きのしないワニや、狭いオリに何十匹も入れられたガチョウなどがいた。
遺跡の前には博物館があり、アショーカ王柱の頭部のほか、転法輪の印(胸のところで右手を「OK」、左手を「キツネ」のようにして組み合わせたかたち)をとった有名な仏像を見ることができる。物売りもしつこくなく、安心して参拝することができた。
どこにいってもお釈迦様もさぞ気持ちよく説法できそうだと思うほどの清々しさ。仏教は一切が苦しみであるという点からスタートするが、決してニヒリズムではない。苦しみを乗り越えて幸せを求めるというところに力点がある。この地には何かポジティブ思考を発露させる空気が漂っているような気がした。
遺跡の中ごろにはジャイナ教寺院があって、敷地が思いっきりかぶっていた。19世紀に建てられたものだという。そこからすればこの地が仏教の聖地として今日のように整備されたのはずいぶん最近の話で、それまでは荒れ放題で誰も手をつけてこなかったことが分かる。インドの仏教はこの地で完全に滅びていたのだ。