インドに来ている旧友T氏にに会うべくムンバイへ。プネーからムンバイは160キロほど、インドでは非常に近い都市の部類に入る。しかしムンバイはこれまで空港以外立ち寄ったことがなかった。思い返せばちょうど1年前、夜遅くに国際線でムンバイに到着し、3時間待たされた乗り合いタクシーでプネーへ直行したのがインド生活の始まりだった。
今回は多くのインド人の薦めで鉄道を使うことにした。道路がよく整備されていないインドで鉄道はバスより早く、しかも格段に安い。プネーからムンバイまではインド最高の高速道路エクスプレス・ウェイが敷かれているが、それでも4時間はかかる。バス料金は500円ぐらい。一方特急を使えば3時間30分、190円で着いてしまう。本数が少ないこと、そのため予約がたいへんなことを差し引いても鉄道に軍配が上がる。
出発の前日に駅に行き、予約カウンターで切符を購入。申込書に列車番号、等級、乗降駅、名前などを書いて並ぶ。当駅発着分については、壁に詳しい情報が書かれているのでそれを見ながら記入できる。プネーからムンバイへは朝と夕方しか出ていないことが分かり、早めに行こうと思っていたが結局15:30発の便にした。予約窓口はそれほど込み合ってはいなかったが30分ほど待たされる。
さて当日行ってみると、列車の入り口に搭乗者名簿が貼り出されていた。これはキャンセル待ちの人が乗れるかどうか調べるためのもの。「オーノー タクヤー」とデーヴァナーガリー文字で書かれた名前を発見。座席番号に変更はなく、運よく窓側の席だった(日本のJRは窓側から席をあてがっていくが、こちらは窓も通路も関係なく、列順に機械的にあてがう)。
プネー発ムンバイ行の特急デッカン・エクスプレス。少し驚いたが、始発だけに予定時刻どおり出発した。遠距離を走る列車では遅延は日常茶飯事で、ヴァラナシからプネーに来る電車は出発が20時間遅れたことがあるという。駅で地べたにごろ寝している人が多いのは、そういう電車を待っている人がいるせいもあるだろう。
しかしそこからが遅い。特急のくせに小さい駅に停まるのはまだいいとして、駅でないところで停まったり(そのたびに客や係員が線路から乗り降りする)、のろのろ運転を繰り返したりしているうちに、ムンバイの終点についたのは予定を45分もオーバーしていた。向かいのおじさんはしょっちゅう時計を見ながら焦っている様子。私は初めての景色を楽しんでいたが、日が暮れるとホテルで待っているT氏のことが気にかかってくる。
鉄道の景色はいい。プネーからムンバイまでは、賑やかなプネー市内、山がちなデカン高原、西ガート山脈を越えるトンネルや崖、そしてムンバイの終点に近づくにつれて再び賑やかになっていく街並みというように、変化に富んだ景色を楽しむことができる。特に雨季直後の山脈越えでは、岩山をつたって降りてくる滝が何本も見られたのが壮観だった。車内ではチャイやスナックなどの物売りがひっきりなしに往復し、また楽器を演奏する父親とお金をねだる娘もやってきた。これまた風物詩である。
ムンバイで特急はバスターミナルがあるダダール駅と、オフィス街が広がる終点CST(チャートラパティ・シヴァージー・ターミナス)駅に停まる。CSTを降りてからバス停を探し、T氏の宿泊しているオベロイ・タワーズへ。アラビア海に面したムンバイ有数の最高級ホテルだ。同行者のひとりが先に帰ったため、その代わりただで泊まることができるという幸運に恵まれた。
T氏は大学以来の同級生で工学修士をとって大手電話会社に勤めたが、派遣で家族とともに渡米し、MBA(経営学修士)の学校に通っている。インドに来たのは市場調査とインタビューの依頼があったからで、研修でありながら収益もあるというのはMBAならでは。人口10億人を抱え、中産階層の経済力がぐんぐん上がっているインドの市場は世界的に注目の的だ。しかし道路や電気などインフラの未整備、法律による外国資本率の制限、今年の政変に見られるような政策不安定、賄賂を是とする役人体質などがあって、外国企業は容易には参入できない。そうした壁を乗り越えていくための資料を集めているという。
夕食はその仲間たちとタージ・マハルというこれまた最高級のホテルのレストランにて。ムンバイ名物のライトアップされたインド門を眼下に見下ろしながらワインなどを頼んでいるうちにうすうす予想はついていたが、5人で17,000円という請求書が来たときには少し目が飛び出た。これは私の家賃約2か月分に当たる。彼らはインドに来て3週間、各都市の最高級ホテルでこんな食生活を繰り広げていたという(別に悪いことではないが……)。T氏はインドに来てアメリカよりもお金を使っているようだと言っていたが、これならそれも頷ける。驚く私を「つぼ八よりはましだと思えば…」と言ってなだめるT氏。
その後ホテルに帰ってインターネットで知り合いのホームページをネタに盛り上がったり、インドやアメリカのこと、家族のことを語り合ったりしているうち、就寝は午前4時ごろになってしまった。
インドでT氏は貧しい暮らしをしている人をたくさん見て、負け組がいくら努力しても勝ち組に入る見込みはないような気がしたという。インド人民党政権の経済政策は都市部の中産階級を底上げしただけで、置いてけぼりを食った貧しい人々との格差が広がる結果になった。口では負け組、気持ちは勝ち組の日本、本当のところはいったいどっち?。