今住んでいるアウンドという街は、時折無料の情報誌「アウンド新聞」が配られる。その中にジャパニカという日本語学校の広告をよく見かけるので電話をしてみた。近くだと分かったので遊びに行ってみる。
そこは一般家庭の部屋を使った、1クラス5人くらいの教室。先生のマニーシャさんは18年間日本に住んでいたが、一昨年夫を病気で亡くし、16歳の息子を連れてプネーに戻ってきた。旦那さんの話になると顔がまだ曇る。
習いに来ている人はさまざま。12歳の子どもから定年退職したおじさんまで、日本語関係の職を探したい人から単なる興味できている人まで、ひとまず世界共通の日本語能力検定試験をめざす。
サレーシャさんは製薬会社に勤めている1児の母。仕事が終わって帰ってくると夫とお義母さんが送り出してくれて、教室に通っている。夢は日本の製薬会社と共同で働くこと。息子のテージャス君(6才)が「それは違います」というフレーズだけ覚えているそうだ。
スレーシュさんは銀行を退職したおじさん。出身はタミル地方で、日本語とタミル語の雰囲気が似ているので興味を持ったという。大野晋氏の「日本語タミル起源説」の話をしたら喜んでいた。
彼らの勉強方法は、あくまで日本語能力試験をめざしているので教科書中心の、どちらかというと退屈。「荷物はもう着いて( ? )」の括弧に「あります」「います」「はずです」「きます」などから選ぶというような問題が延々と続く。
もっと会話を重視して、自分の言いたいことを日本語で話せるようにしたらいいと思う。「これはペンですか?」みたいな文から入るのはつまらない。コミュニケーション意欲が全く湧かないからだ。文法規則を習うのは後の方がよい。
ちなみにインド人は記憶力がよいとか、数学が得意だとかいうが、それはほんの一握りの人たちであることが、インドに住んでいると分かってくる。計算を間違えて釣りを出してくることなどしょっちゅうだし、物覚えの悪い人は悪い。比率の問題でいえば「勤勉な日本人」とどっこいどっこいというところか。
それはさておき、マニーシャさんの息子から風邪がうつったらしく、先週末は1日半寝込んでいた。熱が出て起きると頭が痛く、食欲もない。翌日は下痢続き。
夕方になってフラフラになりながら医者に行く。5時からの診察で早めにいったが結局医者が来たのは6時頃だった。薬を処方してもらい、命からがら帰宅する。
おそらく頭痛薬と下痢止めと抗生物質だったと思うが、これがやたら効く。翌日の夜にはほとんど回復し、下痢は便秘になってしまうほどだった。薬はまだ半分ほど残っていたが飲むのを止めることにする。一緒にもらったインド・ポカリは香料がきつくて飲めた代物ではなかったが、我慢して8割ほどまで飲んだ。
数日間は食欲が湧かなかったので、日清のラーメンを買ってきて家で自炊。袋ラーメンはマギーと日清の二種類があるが、味は断然日清に軍配が上がる。ただし全部カレー味。カレー味のもとは使わず、日本から持ってきた味噌汁の元を入れて、味噌ラーメンにして食べた。
暑い日が続いているので一度体調を崩すとなかなか回復しづらい。救いは来週から日本に一時帰国できること。でも法事三昧だからどうなるか。体がもつか心配している30歳の夏であった。