インドに戻って1ヶ月になるが、メインの教授であるジャー先生からは1度も教えてもらえなかった。
インドに着いたその日にすぐ(2月3日)行くと「18日までインド科学のセミナーがあるからできない」と言われ,半月後の18日に行ったら「Come
tomorrow !」と言われ、次の日に行ったら「インド経営学のセミナーがあるから3月9日から」と……。怒っても仕方がない。忙しくて時間がほとんどないのは事実だ。昨年のインド物理学あたりから、サンスクリット学とどれくらい関係があるのか?というようなセミナーが続いている。先生はインド全土から集まる教授たちの接待そのほか運営で大忙し。その合間にデリー、ムンバイ、コルカタ、南インドと行ったり来たり。大学でたまに見かけるときは、ゲッソリしているかイライラしているか。
個人授業が無理ならばと正規の授業にも出席してみたが、休講は多いし、先生の気まぐれで授業が進んだり戻ったり、演説をしたと思えば説教をしたりちぐはぐなので出るのをやめた。最近やたらインドの叡智は最高!という話になるのは歳のせいだろうか。
その代わりというわけではなかったが、日本人3人で毎朝1時間、サンスクリット文法学の個人授業を受け始めた。サンスクリット文法学とは紀元前4世紀に完成された、驚くべきほど系統立てられた壮大な体系だ。日本語で言うと「『ない』の前は未然形」「『行く』の格助詞は『に』」「『立つ』などの連用形は促音便』というような感じの規則が何千と、その適用の順序まで考えて整然と並べられている。これをひとつひとつ解説し、議論していく。1日に勉強するのは1つか2つの規則だけだが、そこには深い歴史があり、さまざまな解釈があって面白い。言葉というものは生き物だから、次第に規則に当てはまらない例も増えてくる。それをどう説明するか。歴代の文法学者が四苦八苦してきた痕跡をじっくり学ぶ。
先生はマヘーシュ・デオカールという若い先生で、来日経験もある。全盲なのにその何千もの規則は全部頭に入っていて、どんな質問にも分かりやすく答えてくれる。分からなければ説明をどんどん丁寧にしてくれ、時には気さくにぶっちゃけ話も。しかしそのぶっちゃけ話も深い教養に裏付けられており、尊敬してやまない。
終わってから図書館に行って復習。これで午前中はだいたい終わる。学食で昼食をとって帰宅。午前中はジャー夫人による祭事哲学の講義もあったが、出席して2週間ほどで終わってしまった。
帰宅の道は非常に暑い。2月に入ってから毎日温度が上がっていき、3月初めで最高37度ぐらいになった。おかげで手も顔も真っ黒に日焼け。37度は日本だったらたいへんなことだが、インドでは標準的な暑さだ。これから4,5月にかけてさらに暑くなり、45度ぐらいまで行くという。暑いのはわりと平気な私だが、大丈夫だろうか?
でも家の中は30度ぐらいだから耐えられないことはない(猛烈に眠くなるのが欠点だが)。天井の大型ファンの下で、ラジオを聴きながら博士論文の準備。休憩にはスイカ(1玉100円)やパイナップル(1房50円)を食べたり、日本から持ってきた本を読んだり、インターネットをしたり。煮詰まったら散歩に出てラッシーやドーナツを食べる。甘いものばかり食べている気がするが、暑いとどうしてもそうなってしまうようだ。水も1日2リットル飲む。
今月からもうひとり、哲学科のマンガラー・チンチョーレーという先生と仏教論理学の勉強ができることになった。図書館で読んでいた本の著者を何気なく見たら「プネー大学」と書いてあったので調べてみると、すぐ隣の建物にいたのである。早速訪問してみたところ快く迎えて下さり、すでに何度か話をしたがよくものを知っている。仏教論理学とは、仏陀の正しさを論理的に証明しようとする立場から生まれた、これまた壮大な体系だ。日本や西洋に研究者が多い。しばしばインド人を疎外して研究が進められていることに先生は怒っていた。この前来ていたカナダのチャン先生なんか、ずっと日本の学者のことばかり話していたから余計にそう言うのだろう。
ここの哲学科では主任のプラディープ・ゴーカレー教授も仏教論理学に取り組んでおり、日本の大学における哲学科とは趣が違う。もちろん彼らは西洋哲学も教えている。チンチョーレー先生の授業をちらりとのぞくと黒板に形式論理学の記号が並んでいた。洋の東西を問わず、またオリエンタリズムに組することなく哲学を追求するという態度は見習うべきものだ。
現地のパンディット(伝統的学者)探しは続行中。サンスクリット語しか話さないという先生と75才の先生の2人から教えてもらえる可能性が見つかったが、住んでいるところが遠かったりしてなかなか会えない。パンディットは見つかるまで1年かかるというが、どうなるかとやら。
さて、ジャー先生が上記のように1週間に1時間時間を取って頂くのも不可能か、たとえ可能でも申し訳ないような状態なので、来年度(今年9月)から別のところで勉強をしようと検討し始めた。幸いプネーはたくさんの学者が訪れるところで、コルカタにあるサンスクリット3大学のムコーパディヤーイ教授、ダス教授、ライェーク教授と直接会うことができた。これにヴァラナシ、ティルパティも候補に加えて、比較的時間の取れる先生を探している。いずれもプネーより過酷なところだが、勉強できなければプネーどころか、インドにいても意味がない。
一方写本(手書きの古いテキスト)調査も本格化、バンダルカル東洋研究所、アーナンダ・アーシュラマ、ヴァイの3ヶ所を探索。アーナンダ・アーシュラマは1枚コピーするのに3ルピーだが、バンダルカルは1枚4ルピー+1冊100ルピー、コピーできないレアな写本は写真撮影料が何と1枚100ルピーと、べらぼうに高い。『ニヤーヤ・マンジャリー』というインド哲学史上とても重要な本があったが、これを全部撮影しようとすると10万円ぐらいかかる計算だ。
今のところはサンスクリット文法学の授業で1日がもっているようなところ。マヘーシュ先生は4月からヴァラナシに移るとのことで、その後どうなるか今のところ全く分からない。