パソコン崩壊顛末記

 インドでは、パソコンが壊れやすいと言われている。
 その一番の原因は電圧の乱高下と停電の頻発で、物価が10分の1のインドでも日本と同じ価格のパソコンに、インド人も電圧安定機と非常用バッテリーで対策を立てている。インドに留学していた先輩からも「使わないときはプラグを外す」など、口を酸っぱくして言われた。
 私は停電になっても何時間かもつノートPCなので、高価なバッテリーなしの電圧安定機だけで済ましている。そのPCが突然クラッシュ。作業中にフリーズしてそのまま起動しなくなったのである。電圧のせいではどうもないようだ。
 起動するとハードディスクがガリガリと奇っ怪な音を立てるが、ウィンドウズは立ち上がらない。その読み込もうとしている音がまた耳障りで、2,3度挑戦してすっかり観念した。その夜は、どこまでバックアップを取ったか必死に思い出しながら、冷や汗にまみれてなかなか寝付かれなかった。
 さて、東芝のダイナブックには1年間の海外保証がついており、インドも対応していたのがこのパソコンを選ぶ大きな理由だったが、藁をもすがる気持ちでその海外保証を頼むことになろうとは、あまり想像したくなかったことである。翌朝、国際電話で日本の窓口へ電話した。
 窓口の方はとても親切に対応してくれたが、いかんせんここはインドである。まず現地の修理会社を選定しなければならない。いきなりバンガロールとか言われても、パソコンを担いで飛行機に乗るのは嫌だ。インドの宅配便や小包郵便は、どうしてもパソコンを任せる気になれない。
 さらに修理会社が決まってもまだ関門がある。部品は日本から送るということで、税関でストップしたりすると何日かかるかわかったものではない。5月の連休に一時帰国したときに修理に出したほうが早そうな気がしたが、連休前後の日本は半月ぐらいかかるとのことでこれも無理。
 ただひたすら待つしかないことを悟る。することのなくなった翌日はロード・オブ・ザ・リングの2回目を見て、翌々日はビールを一人でかっくらって寝た。自棄酒・自棄映画というわけだ。ロード・オブ・ザ・リングはもう客があまり入らなくなったので正午過ぎから入場料100円ポップコーンつきで上映していた。
 しばらくは家で本を読んだりしていたが、暑くてしかたがない。そこで近くのネットカフェに通い始めた。1時間50円でISDNの上に、冷房も入っているので午後や夕食後に行くのが日課となった。そのうち日本語IMEが入っていることに気づき、日本語でメールやホームページ更新、さらには勉強までし始めた。近くに結構韓国人が住んでおり、彼らが韓国語IMEをダウンロードするとおまけで日本語が入るらしい。
 その一方で、パソコンを何とかする方策も別に模索していた。幸いなことに、一緒にサンスクリットを勉強している日本人の?T氏に相談したところ、ひとまず見てもらえることになった。彼はコンピュータ業界に勤めたことがあり、ノートPCのハードディスクを交換したりもしているという。
 話を聞くと、ノート用の2.5インチハードディスクはインドでも売られており、互換性があるのでノートを分解して交換することもできなくはないとのこと。分解してしまえば保証対象外となるのは承知の上で、1日も早い復旧を望んだ。
 しかしハードディスクを交換する場合でも、セットアップCDが必要ということになる。当然といえば当然だが、交換したハードディスクには何も入っていないので、そこにウィンドウズをインストールしなければならない。違法コピーもガードが堅くなっており、仮に他の人のCDをインストールしようとしても動くかわからないという。
 セットアップCDは日本。そこで妻に電話をしてEMSで送ってもらう。金曜夜発送で、翌週の火曜日の昼には自宅に届けられた。CDが10枚以上ある上に、マニュアルも入って重量は1キロを超え、送料は3000円以上だったが、普通郵便でも何百円ほどの違いだったらしい。
 EMSを開けると、中には妻がちょこっと描いた娘の似顔絵が入っていて勇気付けられる。まずマニュアル通りに再セットアップを試みた。ガリガリ…ガリガリ…相変わらず奇っ怪な音である。再セットアップが始まって5分ほどしたところで、画面に変化が見られないのとその音に耐えかねたのとで中断してしまった。このハードディスクは壊れている、それが私の直感だった。
 しかし直感というものはあてにならないもので、I氏にパソコンとCDを託すと、一晩で再セットアップができたと言って持ってきてくれた。I氏の話では、ハードディスクに物理的な損傷が起こると、プログラムが別の箇所を選んで書き込み始めるそうな。賢いものだ。しばらく時間がかかったが、そのうち奇怪な音も消え無事再セットアップできたという。分解しないで解決したことは、とても嬉しかった。
 それでめでたしめでたしとなるはずだったが、もうひとつ問題が待ち構えていた。バックアップ用にとっていたCD−RWが変なのである。ごく最近書き込んだデータがなく、代わりに去年の暮れに書き込んだ古ーいデータが出てくる。これでまた冷や汗の眠れない夜を過ごすことになった。
 翌日はまたネットカフェに駆け込み、4台あったCDドライブ全てでどう読めるか試させてもらう。そのうち1台から、やや新しいデータが読み出せた。しかしそれでも最新版ではない。今度はK夫妻の家に行って試したが今度は1ファイルも読み出せない。大学に行って女子留学生専用のコンピュータを特別に使わせてもらったが同じ結果。
 CDドライブごとに読み出すファイルが違うので、まだ最新データが出せるCDドライブがあるのではないかと諦めがつかない私は、I氏を頼って彼の家に。彼のCDドライブでもダメだったが、彼には秘密兵器があった。ディスクのデジタルデータをしらみつぶしにスキャンしていくソフトである。さすがだ。
 しかしそのスキャンは想像を超える時間がかかるものだった。夕方5時ぐらいから始めて、結局終わったのが翌午前3時。200メガのデジタルデータを読むのだから仕方がないが、読み込むスピードが異様に遅かった。おそらく書き込み時のエラーのせいで読みづらくなっているようだ。ほかのCDドライブでも結果が違うのはそのせいらしかった。
 待つ間に外で食事をしたり、インド哲学論議を交わしたり、パソコン利用法を聞いたり、ドリフのコントの思い出話をしたりしていたのでずっと楽しかったものの、最後はもう眠くてしょうがなかった。もっとも、勉強を中断されて何時間も付き合わされ、挙句に帰り送ってくれたI氏の迷惑ははかりしれない。
 結局新しいデータは出てこないまま。でもその長い時間は、私をあきらめさせるのには十分であった。翌日は睡眠もそこそこに、気合を入れて復旧作業を開始できた。淡い記憶を頼りにデータを復旧していくのは時間がかかるが、1度やったところなので2回目となるとより多くのものが見えてくる。怪我の功名というべきか。
 バックアップはその日のうちに、自分宛のメールに添付して出した。サーバに残しておけばまたいつ壊れるともしれないパソコンよりは安心できる。CD−RWは懲りたのでメモリースティックでも導入しようかと考えている。
 今日はウィンドウズアップデート20メガ、インターネットセキュリティー更新に10メガなどでまる一日。日曜日はプロバイダ料金が課金されないが、電話代はしっかりかかる。その合間にI氏から教えてもらったLaTeXでサンスクリット文書を作る勉強。修士論文ではワード文書が何度も壊れて泣きを見たので、今度の論文はLaTeXでいきたい。
 夕方からは?T氏秘蔵のDVD『シベリア超特急』を鑑賞する。製作・監督・原作・脚本をあの水野晴郎が手がけたという、どちらかというとマニア系の邦画だ。1944年、ヒトラーとの会談を終えた山本陸軍大将(水野晴郎)は部下の佐伯大尉、青山外交官と共にイルクーツクから満州に向かうシベリア超特急に乗り込む。1等車に乗った軍人など10人の乗客は、次々と殺されていく。犯人は誰か? という話。台詞の7割が英語で、日本人も頑張って話している。列車が全く揺れない舞台セットを差し引いても、いい雰囲気を出していた。
 話は逸れてしまったが、これから部品がインドに届いたときどうするかが次の悩みどころである。インドの修理会社は奇跡的にプネーで見つかったが、バスで1時間以上かかるところ(バス代は片道20円だが)。しかし?T氏の話では一度傷がついたハードディスクは、傷が増えやすくなっており、また近いうちに壊れる可能性があるという。
 保証期間内で無料だし、今後のことも考えると交換してもらうことになるだろうが、またウィンドウズアップデートやらを想像すると気が遠い。今度帰国したときにADSL回線で一気に片をつけよう。その前に届くことを祈るばかりである。

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