インドに来てから一番きちんと習っていると思うのは,サンスクリット会話だ.先生は修士課程のヴィナヤク.多いときは週に4,5日習っていた.彼は日本語を習っており,日本語の練習も兼ねている.さらにインドの見慣れない慣習も説明してくれるので,とても貴重な存在になっている.
その彼が,試験期間が終わっても連絡してこないのでこちらから電話してみると,何やら足を悪くしているらしい.原因はよくわからないが,長距離の自転車通学が悪い影響を与えたようだ.まともに歩けず,じっとしていても痛くて,医者に通いつつほとんど家にいるという.落ち込んでいるようだったのでお見舞いに行ってみた.
彼の家は大学から中心街を抜けて9キロ南にある.道端の狭小住宅に,おばあさん,両親,彼に加えて,2ヶ月前から里帰り出産でお姉さんと新生児の甥が来ており,6人で住んでいる.キッチンを入れて3部屋,必要最小限のスペースだ.
彼は思ったよりも元気そうだった.しかし家からほとんど出られなくて退屈なのと,時々足が痛むのとで,日本語能力試験が近づいているにもかかわらず勉強する気は湧かないという.その上,家の前はリキシャーや車がクラクションをブーブー鳴らしながら走っているし,家の中では赤ちゃんの世話に家族全員おおわらわ.確かに,勉強できなさそう.
訪問した私はまず,赤ちゃんに目が行った.生後2ヶ月で名前をサイラージという.サイババの「サイ」と王様という意味の「ラージ」から取った.「ラージ」はラージャシュリーというお母さん(ヴィナヤクのお姉さん)の名前の一部でもある.無表情な顔で手足をばたばたして,ときどき思い出したように泣く.とてもかわいい.
インドの赤ちゃんは2歳ぐらいまで目の周りを黒くしている.魔除けかと思って聞いてみると,アンジャンというアーユルヴェーダの黒い薬を毎日眼の周りに塗布しているのだという.これは目が良くなる効果があるとか.そのせいでかわいさがやや減退しているような気もしたが,しばらく見ているうちに慣れた.
しばらくおやつを頂きながら歓談していたが,今日は赤ちゃんの健康祈願に30キロ離れたお寺にお参りに行くというところだというので,家族総出で出発.お姉さんの旦那は旅行会社に勤めているがサイドビジネスでリキシャーの運転もしており,彼のリキシャーにおばあさん,お母さん,お姉さん,赤ちゃんと乗っていった.日本でいうところのお宮参りのような感じだ.
留守番になったヴィナヤクは私にお姉さんの結婚式の写真を見せてくれた.インドはお祭大国で,結婚式の派手さは名古屋の比ではない.中流家庭と思われるヴィナヤクの家でも,結婚式は1,000人の客を招待して,朝から晩までまる一日,結婚式をやったという.以前ホームステイした家でも今度お兄さんが結婚するが,結納だけで300人が招待され,結婚式はやはり1,000人集まるという.
さらに,結納金はインドの場合,嫁の家が出すしきたり(ダウリーという)があり,一世一代の出費になる.さぞ大変だったことだろう.写真には親戚や親戚の友人や友人の親戚など,数え切れない人たちが写っていた.彼らもお祝いを持ってくるが,それ以上の記念品を用意しなければならない.それでも規模を小さくしようとは決して考えないのがここインドだ.
お姉さんは24歳,旦那さんは27歳.去年結婚したが,適齢期からするとどちらも3年くらい遅いという.女性は20歳,男性は23歳ぐらいが適当とされる.それぐらいの年齢になると親戚があちこち伝手を頼って,縁談をもってくる.ヴィナヤクのお姉さんの場合は,叔父さんの知人の友達が甥を紹介してきたという.そしてまず家族で偵察がてら彼の家を訪問し,よさそうだと思ったので彼が今度はヴィナヤクの家を訪問した.これが彼らの初対面である.こういう出会いによる結婚をアレンジ結婚という.
ヴィナヤクもあと2,3年すれば親戚が縁談を持ってくるだろうという.嫌でも拒否はできないのだ.しかし彼は,奥さんをほしがっているような気配だった.彼も今年23歳,まだ大学に在籍しているから猶予があるが,世間的には適齢期なのである.
翌日,翌々日も赤ちゃんを見たくて訪問.おかげでサンスクリット会話を再開できた.大学では例によってジャー先生が大忙しで講読の時間が取れない.おまけにヨーガのクラスもすぐ何かのお祭だとかで休みがち.私が現在インドにいる必然性の5割ぐらいは,まさにヴィナヤクに依存している.