今学んでいるセンターには教授と講師のほか,何人かの研究者がいる.博士論文執筆中という人,博士号とりたてという人.経済的・(インドの)年齢的に厳しいせいか,修士を取ってからすぐに博士課程に入る人はあまりおらず,従ってここにいる研究者の年齢はばらばら.
そのひとり,オリッサ出身の若手研究者N.ジェーナー氏の研究発表があった.タイトルは「アタルヴァ・ヴェーダの薬学」.今まで彼とは話したことがなく,偉い先生の講演のときはスライド&OHP係をしているのでてっきり事務の人かと思っていたが,ヴェーダを専門にしており,アタルヴァ・ヴェーダの本も出版しているれっきとした研究者だ.
四大ヴェーダのひとつに数えられるアタルヴァ・ヴェーダは黒魔術の書という評価が一般的だが,比較的新しい(といってもお釈迦様以前の話だが)こともあり,呪術的な部分のほかに実用的な部分もある.実用的な部分には医学的な知見も盛り込まれており,さまざまな病気に対応した薬が説かれている.もっとも,その薬の使い方は呪文を唱えながら服用するなど,呪術的な要素から完全に逃れてはいない.そもそも病気は悪魔が悪さをしたものと考えられており,呪文も治療の大事な一環であった.しかし,そこで使われている薬は現代までアーユル・ヴェーダなどに受け継がれており,その効果もあながちいい加減なものではない.謎の用語を解明することによって,従来研究されてこなかったアタルヴァ・ヴェーダの薬学を明らかにしようとするものである.
発表の大部分は,アタルヴァ・ヴェーダの記述から病名とそれに効く薬を説明していくというもので,病名の語彙がない私としては,付いていけなかった.インド渡航前にしてきた予防接種のA型肝炎,狂犬病,破傷風だって,英語で言われてもわからない.
終わってから教授のコメント.ジャー先生はアーユルヴェーダや現代薬学・生理学との関連から,古代の知恵を現代に蘇らせるようにしていくべきだという,ずいぶん難しいことを言っていた.情報提供だけではなく,現代への貢献につなげなければならないと.
ここにきて私が学んでいるインド哲学・サンスクリット学は,少なくともインドにおいては実学(現代に役に立つ学問.虚学の反対)であるという信念がとても強いことに気が付いた.サンスクリットは,文系だけの学問ではなくて理系の学問すなわち科学なのである.先々週から行われている「古代インドの現代物理学に対する貢献」という集中講義も,ヴァイシェーシカを形而上学としてではなく,科学として捉えるところから始められている.「ニュートンが引力を発見するずっとずっと前から,インド人は引力という概念を持っていた」「現代物理学がようやく到達した結論(何だったか忘れたけど)に,1000年以上も前のインド人が気付いていたということは驚くべきことだ」などとインド人の物理学者は口々に言う.
こんな発想をするのはヒッピーか,ちょっと頭がどうかしている人だろうに思われ,自分自身は抵抗感を感じる.この抵抗感がきっと,科学といえば近代西洋から生まれたものしか信じない科学信仰からくるものなのだろう.しかし科学はある時期に生まれたのではい.インドやアラビアから蓄積されてきたものがだんだん発展し,現代につながっているだけの話だ.問題はその流れを我々がどう捉えるかということ.一口に科学といっても,日本人のイメージと,インド人のイメージはまるで異なる.「科学史」は現代哲学の大きなトピックであるのも頷ける.
日本は高校で文系と理系に分けられるのがよくないのかもしれない.世の中の学問は文系・理系に二分されるはずもない.優秀な科学者を育てるために,数学と物理学のできない人間を早い段階でふるい落とすエリート教育だとしたら,私は10年以上も前に落ちこぼれていたんだなあ….分からないことがあると「オレ,文系だから」というのが決め台詞だったY君の話を思い出す.決して今学んでいることに不満を持っているわけではないのだけれど.