日本語環境

勉強部屋 日本はだいぶ寒いそうだがこちらは日中は30度ちょっと,夜も20度前後という暖かさだ.肌寒いこともあるが蚊はいまだにいる.油断して蚊取りリキッドをつけないでおくと襲われる.それでも刺された後の腫れが小さいのは蚊の力が弱まっているせいだろう.
 インド人は体が夏仕様になっているので,これぐらいの気温でももう着込みまくる.フリース,セーター,ジャンパーなど,こちらが汗をかくくらい,見ているだけで暑い.女性はサリーやパンジャービーの上にジャンパーやカーディガンを羽織ると,かなり不思議な感じだ.
 そんな過ごしやすい季節にまる2日間パソコンに向かいっきり(26日は祝日).論文をひとつ仕上げたところである.9月にインドに来て最初に取り組んだのが『曹洞宗葬儀法要法話事例別体系II』(四季社)というのお坊さんマニュアルで,それが終わって今度は『曹洞宗研究員紀要』(曹洞宗宗務庁)の論文.曹洞宗付いている.駒澤大学にも道元禅師にも縁遠かったはずの私がいつの間に?
 とはいえ,法話の方はお釈迦様や道元禅師の引用もそこそこに,自分の言葉で好き放題に書いたし,紀要に至ってはインド仏教最大の論敵についてまとめたという,道心があまり感じられない態度だ.けしからん!
 なぜこんな若僧のところに法話の原稿依頼が来るかというと,お寺のホームページを立ち上げて,そこで勝手なことを書いていたかららしい.はじめに『曹洞宗祈祷法話体系』の依頼がきた.この本は,法式(法要の次第)に厳格であった曹洞宗が,ついにミーマーンサー(祭事学)に乗り出したかという,(良かれ悪しかれ)画期的な本だと思う.私は「文殊祈祷」「跡祈念」「どんど焼き」の3本を担当.本当は梅花流詠讃歌のことを書きたかったのだが,梅花は今のところ祈祷とはみなされていない.真言宗から伝わった密教的な法具を使って音楽を奏でるということ自体,微妙適悦(みみょうちゃくえつ)の功徳があると思うのだが,どうか.
 その「跡祈念(お葬式の後,遺族の健康を祈祷する法要)」つながりで,次の原稿依頼がやってきた.近親者を亡くした家族に,枕経(亡くなった直後,枕元で読むお経),初七日,四十九日,百ヶ日,一周忌…と連続して法話を説いていく「連続法話」という企画で,インドに来たての寂しい時期にそんな話を書くのはつらかった.書き終えたときにはとてもせいせいしたものだ.
 それから勉強も軌道に乗り始め,毎日のように図書館で調べたりした成果を,このたびの論文に盛り込んだ.インド仏教は12世紀頃からインドで衰退していき,代わってイスラム教とヒンドゥー教の時代になる.そのかわり目に出た11世紀のウダヤナという人は仏教をこてんぱんに批判した人物だ.バラモンと仏教徒が,神が存在するか否かというテーマで討論を行い,両者譲らなかったため,彼は両者を丘に連れて行って突き落とした.バラモンは「神は存在する!」と叫びながら,仏教徒は「神は存在しない!」と叫びながら落下したところ,バラモンは無傷であったが仏教徒は死亡した.これによって彼は神の存在を証明したのである!なんていう伝説も残っている.ひでー.
 そんな彼が残した討論に関する書物.この伝説にもあるように,インドでは討論が重視されてきた.王様の庇護を巡る命をかけた公開討論会だけでなく,弟子と師匠,敵対する者同士,友達…対話を重ねるごとに新しい知見が生まれると信じられた.現代のインド人がおしゃべり好きなのも理由がないわけではない.とはいえまだ着手したばかりの題材で,論文そのものは概説的な記述にとどまる.これからが勝負だ.
 日がな一日パソコンで日本語を打っていると,自分が本当にインドにいるのかわからなくなってくる.食事で外に出たとき,道を歩いている人たちの日焼けした顔とヒゲを見て現実に戻るような感じだ.それぐらい没頭しているということなのだろう.日本では,もうできないことなのかもしれない.

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