東京芸術大学の学生オーケストラが故郷・長井にやってきた。
国立としては唯一の芸術大学である東京芸術大学(以下芸大)には、全国から芸術家のエリートである学生が集う。一学年が3000人もいる東大とは訳が違い、徹底した少人数教育。世界的に有名な卒業生は枚挙に暇がない。
その芸大生からなる学生オーケストラは、従来大学の中でのみ演奏活動を行ってきた。ソロ演奏重視と学生は勉強に専念すべしという風潮があったらしい。
それが21世紀になって、桐朋など私立音大のオケ活動に触発されたり、国立大学の独立行政法人化に伴って大学をPRする必要が出たりしたことから、方針が転換されつつある。大分で行われている別府アルゲリッチ音楽祭に引き続き、長井での演奏が史上2回目の地方公演となる。
そんな訳で大学側も非常に気合が入っていた。オーケストラは公演日の2日前から長井に入り、3日間念入りにリハーサル。教授・講師陣はもとより音楽学部長まで入った。指揮は芸大教授でもある小林研一郎氏。
なぜ人口3万人ばかりの長井に?というと、梅津さんという方の存在が大きい。長女と次男が音大卒で、県内外に音楽家との付き合いが深く、頻繁に交流している。昨年都響の金管五重奏が来たり、弦楽四重奏が来たりしたのも、梅津さんを窓口にしてのことである。ひとくちに付き合いといっても、ただ演奏会のマネージメントをするだけでなく、市内の観光名所を案内したり、美味しいものをご馳走したりと、至れり尽せりの心のこもった歓待で、いらっしゃった方はとても喜んでいく。この積み重ねがあの芸大を動かしたのである。
もっとも、梅津さん自身のポケットマネーでひとつのコンサートが賄えるはずもない。市内にはお医者さんや事業家をはじめ、音楽文化に理解のある人がたくさんいて、大きな演奏会を支えてくれる。今回の演奏会は総予算600万円。当初は梅津さんも私も芸大からオファーがあったときにこの予算を見て、今の長井にそんな体力はないだろうから不可能だと考えていた。そこに長井市長をはじめとする多くの協力者が現れ、寄附を集め、チケットを売り、演奏会を実現してしまった。
長井市が主催に入ったのは寄附金を非課税扱いにするためだった。財政難の市としてはお金は出せず、ホールの提供や市職員による手伝いを行った。近隣の白鷹町、飯豊町、小国町も協力。市民が積極的に動いて行政がバックアップをするという、ひとつの型が出来上がった。中途半端に行政が入ることを歓迎しない声もあったが、最終的な責任の所在がはっきりすることで安心感が違う。
普段は長井にいない私なのでプログラム・パンフの作成をしたくらいで、あとは教授や学生のおもてなしという名目で一緒に美味しいものをたくさん頂いた。お寺の話や独立行政法人化の話で大いに盛り上がる。
コンサート当日は予想を遥かに越える1000人の来場。ベルリオーズのローマの謝肉祭、二十歳に満たない学生のソロによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、そしてドヴォルジャークの交響曲第8番。演奏は3日間のリハーサルの成果があってすばらしい完成度だった。特に8番の2楽章の弦テュッティは、背筋がぞくぞくしまくった。正確なアインザッツと爆発的な音量が両立する稀有な演奏である。
ここまで完成度を高め、気迫あふれる演奏になったのは小林氏の一流の腕によるところが大きいだろうが、教授陣によると演奏に臨む新鮮な気持ちが大事だという。プロのオーケストラは演奏に慣れっこになってしまって、手を抜いても大丈夫なポイントなど「生活の知恵」を身に付けてしまっている。それがよく言えばエレガントな、悪く言えば覇気のない演奏につながる。芸大生は才能はあるが経験はまだ浅い。子供の頃からすらすらーっと演奏できたかもしれないが、ひとつひとつの音が持っている「意味」をかみしめるのはまさに今とこれからである。その意味を見つける喜びが、演奏をダイナミックでドラマチックなものにする。こんなすごい瞬間に立ち会うことができて、聴衆は大感激だ。
省みるに自分の仕事や趣味、ひいては家族にも同じことがいえるだろう。長いこと同じことを繰り返しているうちに忘れ去られていく大切なもの。「1回きり」というときに否応なく顕現するもの。思えば人生1度きり、今日のこの日も1度きりだ。一回性のもつエネルギーをもっと生活の中で活用していきたいものである。