E・キューブラー・ロス著・鈴木晶訳/読売新聞社
数多くの末期患者とのインタビューをもとに、精神科医が人が死をどのように受け入れていくかを記した本。医療関係者必読とされている本だが、現代版『死者の書』とも言える中身に宗教的な側面から読むこともできる。普段死についてあまり考えないだけに、この本が訴えかけてくるものはものすごい。タイトルだけで参ってしまってしばらく手に取らないでいたが、『中陰の花』を読んだ勢いで読み始めた。
ここで提起された死の五段階説はこの本によって有名になった。致命的な病気であることを告知された患者が辿っていく道筋である。たとえ告知されなくても、患者は自分の身体から発する信号で否応なく死期を悟る。これに付き添う医師・看護士・家族が死にゆく者の各段階に応じてどのように接したらよいかというのがこの本の主題だ。
- 否認と孤立―何かの間違いだと思い込む
- 怒り―どうして自分が?と憤る
- 取引―善行をするからと延命を祈る
- 抑鬱―もうおしまいだという喪失感
- 受容―最期を静観して待つ
大事なことは、いつも気をかけて患者が話したいときにいつでも話を聞くことだという。反対に悲しみや怒りの感情を抑えさせたり、虚しい励ましをしてプレッシャーを与えたりしてはならない。これは末期患者に限らず健康な人も、子供から大人まで、一般的に通用することだろう。ただ話を聞いてくれる人を求めている人はこの現代、想像以上に多い。
それにしても個々のインタビューは胸を打つものばかりだった。幼い子供が気がかりでとても死ぬなんて考えられない母親、17才で不治の病を患い、両親と共に自分の納得できる道を探す女の子、ますます元気な妻をよそに衰えていく自分に孤独を感じる夫など、どうしても自分のことのように身につまされてしまう。
自分がある日ガンだと分かったら、あるいは家族が不治の病だと分かったらどうするだろうか。縁起でもないとタブー視せずに、時折考えてみることも大事かもしれない。それは決してネガティブなことではない。周囲の人たちと一緒に今をよりよく生きていくための点検でもあるのだから。
死は生に属する、生誕がそうであるように。歩行とは、足を上げることであると同時に、足を下げることでもある。タゴール