♪もぉーいーくつ寝ーるーとー」というほどお正月が待ち遠しいのはなぜかわからないほど、お正月は普通だった。
大晦日は小沢征爾のバッハで辛うじて救われたが、お正月からはただルーティンを消化するというだけで、頭は全くはたらいていなかった。そうなって来ると「あけましておめでとうございます」と言うのさえ白々しい。
こんなにネガティブなのは、ひとつには21世紀という言葉への無感動があるように思う。西暦でなければ何の特別なこともない。政変が起こって日本が全く別の国になると言うならともかく、20世紀と21世紀を別の時代であるかのように考えられるか甚だ疑問である。
それから年末年始の行事の多さにうんざりしていること、元旦から大雪で除雪作業に追われていることなどが追い撃ちをかけている。子どもの頃楽しみだったのはお年玉のおかげだろうか?
そんな訳で憂さ晴らしに元旦の夜に幼なじみと飲み会、2日の夜に高校の同級生・後輩とゲーム大会を行った。これはどちらともヒットで、笑ったり叫んだり楽しいひとときを過ごした。懐かしい顔ぶれと会うのは、自分の忘れていた部分を再発見することである。
これで「お正月らしくなった」と思ったとき、ふと「お正月は楽しくなければならない」という観念に追われていたことに気づいた。お正月は楽しいはずだが、実際は楽しくない。その期待と現実の溝が大きかっただけのことである。やはり普段から見ればお正月はそれなりに盛り上っているのかもしれなかった。