他人の中の自分、自分の中の他人

1920年創立の東大オケが80周年を迎え、3日に記念演奏会と記念祝賀会が開かれた。気がつくと実行委員長をしていた私は、大した仕事もせずにあいさつ担当で適当な話をした。
謝辞などは後日出版される記念誌にイヤというほど書き上げているので、これを読んでいる関係者はそちらを参照されたい。今回の記念誌では以前に書いたものも含め7本くらい書いている。
知己というべき懐かしい面々が集まった。みんなが学生時代に戻っていた。老いも若きも「ただひとつ(※東大の応援歌)」だった。私も例外でなく、さまざまな懐かしさに襲われつづけていた。まるで失っていた自分を取り戻したかのような感覚。
旧友と話すたび、旧友の中に住んでいる自分に出会う。その自分は今の自分と相当違った顔をしている。若くて、青くて、馬鹿な自分。逆に自分の中にも旧友は住んでいたようである。お互いに自分自身と話しているだけなのかもしれなかった。これが全ての懐かしさの源泉だろう。
祝賀会に集まった300人の人達のうち、東大オーケストラが100周年を迎える20年後まで生きているのは何人くらいだろうか。しかしこの世を去ることになっても寂しいことはないと思えた。この世に残る人の心の中に自分は行き続けていけるのだ。その自分は他人の思い出ではない。生きている自分自身にほかならない。
そんなことを考え、涙が出るほど楽しい気分になった。

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