サマーコンサート

東大オーケストラサマーコンサート長井公演。
前回から6年。人口3万の小さな街に東大オケは再びやってきた。
市制40周年にのった前回と異なり、今回は独力。チケット販売や広告取りは有志の手によって行われた。私はOBとしてお手伝いをしたが、その他の方々が私以上に一生懸命に尽力して下さり演奏会は成功裏に終わった。めでたし。
それにしても自腹を切って強行日程で演奏旅行をしている東大オケの団員は異様である。毎日のように食事は弁当、早朝から夜遅くまではたらき、観光などをしているひまはない。その姿はもはや音楽にとりつかれた宗教団体といっても過言ではない。敬意というよりも、サーカスの動物に対するような哀れみを禁じえない私であった。
そういう気持ちもあったからかもしれない。新世界のアタッカから必死のボーイングを見て少し目が潤んでしまった。
アンコールのヴィー・シェ―ンで出てきた外務とアナウンサー(共に山形出身)の緊張しきった顔つきを見るやいなや激しい懐古に襲われ、自分がまるで老人にでもなったような錯覚を起こした。「ああ、あの頃は・・・」などと。
今回は長井が最終地だったので恒例の打ち上げが演奏会終了後行われた。相変らず厳しい先生方の講評。特に「君たちは音楽をしていない。ただ楽譜を再生しているだけなんだよ」というのは、冷たい演奏といわれてきた東大オケのいちばん痛いところである。
しかしその後コンマスがさりげなく「僕らは僕らなりに楽しんでやっている」というような反論をした。これには溜飲が下がる思いをした。楽しくないなら辞めているはずなのに、これだけの「音が苦」を続けているのは、やはり楽しいからなのだ。しかしそれを生き生きとした表情に出すような下品な真似はしないだけなのだ。表情が硬いからと言って楽しんでいないわけではない。抑えきれない感情をコントロールしようとしている彼らの気持ちがよくわかった。
東大オケは良くも悪くも、何者にも依存しないで孤高を守ろうとする自律的集団である。彼らは心から「お陰様で・・・」などと言っていない。常に自分たちの力で自分たちの道を切り開いていく。周囲の手助けは後から付いてくるだけのことである。それでいいのだ。

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