『葬儀と日本人: 位牌の比較宗教史』

位牌には神道の霊代を起源とする説と、儒教の神主を起源とする説がある。本書では、択一ではなく習合したものと捉え、儒教、道教、仏教の葬儀を丁寧に分析し、根底に潜む中国人と日本人の死生観を比較しながら、現代に通じる要素を抽出している。
日本で広く行われている葬儀の形式は、禅宗の葬儀によるところが大きく、禅宗の葬儀は、インド仏教よりも儒教と道教の影響を色濃く受けていることが分かる。その骨格は、すでに儒教で五経に数えられる『儀礼(礼経)』(前3世紀)でできあがっていた。位牌の起源以上に、葬儀の起源が面白い。
現在、三十五日を小練忌、四十九日を大練忌というが、練はもともと斂であり、遺体に葬衣を着せる儀式だった。亡くなって2日目が小斂、3日目が大斂。現在百ヶ日である卒哭は、神霊をやすらかにする祭の後に行われるもので、ここから凶礼が吉礼に転じる。泣くのは随時ではなく朝夕のみになるという。
授戒は、道教の上章(冥界の役人に救いを求める請願)、引導は道教の打城(死者の霊魂を助けるために地獄の城を打ち破る)に通じる。お盆のもとになった中元は、地官に懺悔して謝罪してもらう儀式だった。換骨奪胎ともいうべき類似性があった。日本人にも根強く残っている「親の因果が子に報い」や「先祖の祟り」、「葬式をちゃんと出さないと成仏できない」という発想は、道教に由来するもののようだ。
インド仏教で葬儀のときに読まれた『無常経』に加えられた「臨終方訣」(在家者が臨終時に仏の名を唱え懺悔して受戒させる)、亡くなってからの受戒を説く『梵網経』、亡くなった人の霊魂が墓にいるのかいないのかという問答を収録する『灌頂経』は、全て中国で編纂された「疑経」である。仏式の葬儀の基本構造は、儒教や道教由来のものだと認めざるを得ない。
孝とは、亡くなった先祖への祭祀であり、生きている父母は現世の先祖であるという中国の発想は、日本人が逆である。何百年も前から、日常祀られるのはせいぜい三代先までだった。血筋にもさほどこだわらない。位牌もお墓も永続的なものではなく、日本に伝わって、再びインド仏教に回帰した感がある。「どこからか見守ってくれている。そしていつかは忘れ去られていく。」
日本仏教のひな形は一足飛びでインド(初期仏教)に目を向けることが多いため、中国での儀礼と思想と詳細に比較してみるのは新鮮だった。

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