『それ迷信やで―迷信列島漫才説法』

宝塚のお寺の住職による痛快な毒舌説法集。
世間には死に関するタブーが実にたくさんある。祟りとまでは言わないにしても、縁起が悪いとか、祭り方が悪いとかそんな言説はよく耳にする。仏教の観点ではそのほとんどが迷信に属するものだが、タチの悪いことに僧侶がお先棒を担いで喧伝していることも多い。
筆者の区別は単純明快、人を不安にさせるものは迷信、安心させるものは仏法。面倒臭い理屈はない。
「拝まん奴に限って、祀り方がどうのこうのと、祀り方ばっかり問題にしよるわ。一生懸命に真心こめて拝んでさえいれば、万一悪いところがあれば、神仏の方で都合ようにしてくれはるわ」
「法事ちゅうのは、お経もあげられん亡者に代わって、坊主が本尊に拝んでやるのやがな。だから回向というのや。亡者は坊主の後ろで一緒に本尊さんに手を合わせているわ」
本に登場する迷信深い人たちを笑う私も、兄弟などが位牌を複数作ると帰る所が分からなくなって困るとか、そんな言説を鵜呑みにしていたことに反省。
「お母さんとしては、両方に帰れるように兄弟二人に祀って貰えたら本望だろうに」
そして迷信にすがりつく衆生を喝破する。
「家族が病気したり不幸があったりすると、その原因や責任を他人になすりつけたがるが、なすりつける相手が見当たらない時は、方角や家相や先祖やその他動物の霊にまでなすりつけようとする。それらのものこそいい面の皮というものである。」
お寺にいる以上、これぐらい精神的に余裕と活力をもって檀信徒と接したいものである。

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