僧侶と性欲(3)

裸写真ネット掲載された元交際女性、住職らを賠償提訴
世間の善悪と、出世間の善悪は必ずしも一致するわけではない。戦争において、世間は敵を殺すことを善とみなすが仏教はそれが必要なことであれ悪と言い続けなければならない(大半の僧侶はそれができなくて、今反省を迫られているわけだが)。
しかしこの場合、出世間の立場でも悪でしかない。まず不倫が不邪淫戒(浮気しない)に、ついで脅したことは不自讃毀他戒(人を謗る)に抵触する。さらにこの期に及んで「コメントできない」などとコメントするのは正語とも言えまい。
不邪淫戒の破戒は波羅夷(教団追放)というのが伝統であるが(もともとはセックスしただけで追放だが、日本仏教の僧侶形態では配偶者とのセックスだけは咎められない)、天台宗はどう対応するものだろうか。
もっとも、戒律は人を裁くためのものではなくて自分自身を律するためのものである。悪道に落ちて長時の苦を受けないように、性欲をコントロールしたい。

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