僧侶の酒とセックス

水曜日から山形に来ているがまた風邪を引いてしまってバテていた。今日くらいからやっと調子を取り戻す。
水曜日の夜は住職の研修会「回向文の歴史と解釈」。絶不調の中、気力で米沢まで車を運転して参加してきた。休憩中のたばこの煙にはウンザリしたが、そこまでして行く価値のある講義だったと思う。
授戒作法のメインである十重禁戒の時代的変遷が面白い。十重禁戒とは仏弟子になるにあたってやってはいけないことを10にまとめたもので、中国で成立したとされる。中国の清規(マニュアル本)では、以下のように記述されていた(出家の場合)。
(1)不殺生(殺さない)
(2)不偸盗(盗まない)
(3)不淫欲(セックスしない)
(4)不妄語(嘘をつかない)
(5)不飲酒(酒を飲まない)
(6)不説四衆過罪(人を責めない)
(7)不自讃毀他(自慢しない)
(8)不慳貪(ものを惜しまない)
(9)不瞋恚(怒らない)
(10)不謗三宝(仏様に不敬の念を起こさない)
これが日本に入り、道元の『正法眼蔵』では以下の3つが変わる。
(5)不飲酒→不酉古酒
(6)不説四衆過罪→不説在家出家菩薩罪過
(8)不慳貪→不慳法財
このうち(6)と(8)は同義語による言い換えだが、(5)が大きく違う。「酒を飲まない」から「買ってまで酒を飲まない」へ。つまり信者さんがご馳走してくれたお酒を頂いても戒律違反にならないのである。ゆる!
さらに現在、得度(僧侶になる儀式)や葬儀で唱えるものは道元のものから2つが変わっている。
(3)不淫欲→不貪淫
(6)不説在家出家菩薩罪過→不説過戒
(6)は単なる省略なので意味は同じ。問題は(3)である。「セックスしない」から「性欲におぼれない」へ。つまり、配偶者との間で子どもを作るためのセックスが戒律違反でなくなった。
道元の時代はもちろんお坊さんは結婚できないから、酒は飲めてもセックスはタブー。これが明治時代に入って「肉食妻帯蓄髪の勝手たるべきこと」の勅令が出されて以来、解禁されることになる。さらに現代では実子が後を継がなければそのまま空き寺になってしまうところが多いから、解禁というよりも奨励とさえ言えるだろう。
ほかにも不殺生は狩猟やと殺を生業にしている人に配慮して「命を大切にする」と解釈されるようにもなっている。「動植物はともかく人は自分も含めて絶対殺さない」と解釈すればいいんじゃ?
酒とセックスで解釈がぶれるのは、ほかの戒律が教団の維持に必要な道徳であるのに対し、この2つはインド独自の文脈を抱えているからであろう。酒はインドの全宗教でタブーだし(精神がねじまがるとか)、セックスをしないことは行者がタパスという力を蓄える前提条件である。
一方中国や日本の儒教文化圏では、酒はそれほどタブー視されていないし、子孫繁栄が最重要課題だったからセックスは必要であった。その圧力に負けて戒律は徐々に俗化していったのではないか。
十重禁戒の変遷を見るといろんな歴史が垣間見える。それは、他者救済を目指した大乗仏教によって推進された僧侶の俗化と、儒教などの土着文化が共同でもたらした歴史なのである。
ちなみにモーゼの十戒の中では、殺人、姦淫、盗み、偽証、財産をせびることの5つが禁止事項。こっちのほうがずっと守りやすいし解釈がブレにくいな。
結論:お坊さんは、法事で酒が出たら飲んでもかまいません。不倫はいけませんが、子だくさんな家庭を築くのはOKです。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。