今年2回目の大般若会が近くの寺院で行われたので随喜する。
配役を堂頭さん(住職)に尋ねると話し合って決めてほしいということで、若い衆で話し合ったところ侍者になった。
侍者というのは、導師の斜め後ろに控えて必要なものを出したり下げたりする重要な仕事である。導師の場合、多少間違っていても全体がそれに合わせてくれるからあまり問題は起こらないが、侍者が何か間違ったり忘れたりすると法要はぶち壊しになる。
記憶ではいつも知殿(裏方)ばかりしていて侍者など初めてかもしれない。それが法要の10分前に決まり、何とか無事にいってくれと祈る気分で開式となった。
差定(法要の次第)は入堂、拈香法語、上香献茶湯、普同三拝、浄道場、般若心経読誦、大般若転読、消災呪読経、回向、普同三拝、散堂。
一応無事に終わったけれども、般若心経読誦で導師が薫香に進前するとき、柄炉をもって付き添うのが遅れたのと、礼盤に移動するとき坐具の移動を忘れて指示されたのと、回向中に読み込み帳を配り忘れそうになって指示されたところが失点。でも回向中の進退も怪しかった。
消災呪を読み終わって導師が礼盤から降りたとき、(導師とぶつからないように)東序側から坐具を移動。ついで前机から柄炉を取って導師に渡し、礼盤前から鈴を取って導師に渡す。
次に読み込み帳を両班に配るが、今回はその前に導師にも読み込み帳と法語を渡さなければならなかった。読み込みが終わったら回収(ついでにいうと配布と回収の順番もデタラメ)。そして露柱の陰で待機し、回向終了近くに柄炉と鈴を使い終わったのを見計らって下げるわけだが、そのタイミングが難しい。
さらに、入堂直後と散堂直前に、導師は両班に出向いて一礼することになっている。このとき払子はもたないので、今日は礼盤の上に置かれたが、侍者が受け取るべきだったと思う。
寺に戻って法式の本を見て復習するも、上記のような細かい点はほとんど記されていない。導師によって進退が異なるので、侍者はそれに合わせろということなのだろう。初めてではとても無理ですって。
こうしてみると法要とはひとつの劇である。主役である導師を引き立たせるには脇役の気配りが大事。今日の脇役は満足できる出来ではなかったが、よい勉強をさせていただいたものだと思う。来週、再来週もほかのお寺で行われるので、今日学んだことを忘れないようにして、もうちょっとましにやってみたい。