毎年行われている寺の観音巡礼に、祖母の車椅子係として初めて参加する。
山形県内には庄内三十三観音、最上三十三観音、置賜三十三観音と地区ごとに33ヶ所の札所がある。ほとんどがお寺の境内にあって、観音像の前で御詠歌を読み、参拝のしるしに御朱印を頂く。
33ヶ所を一度に回るのではなく、1回に5つぐらいずつ何年もかけて巡っていくので、コンプリートには何年も連続で参拝しなければならない。母や祖母はもう30年以上続けていて、コンプリートどころか2周目、3周目に入っているという先輩だ。
住職はお葬式が入ったりするので、毎年必ず参加できるとは限らない。その上私はつくばやインドにいたのでこれまで参加したことはなかった。
祖母は年老いてバスの乗り降りや車椅子での移動など介助が必要となり、講員を引率しなければならない母にはそこまでする余裕がないので、今回私が呼ばれたというわけだ。実際、皆がバスから降りた後に祖母の手を引いてバスから降ろし、車椅子に乗せて観音堂まで連れて行く頃には、もう母が御詠歌を唱え始めていることがほとんどだった。
もちろんつきっきりというわけではなく、トイレや入浴は母が介助する。それにしても祖母の信心の深さは並ではない。住職や寺族はどちらかというと仕事の一環として参加しているのかと思っていたが、祖母を見る限りそうでもないらしい。
というわけで初めてという上に祖母のそのような姿を見たものだから、妙に姿勢を正される巡礼だった。カシミールでムスリムの家に滞在したとき、ムスリムにとってメッカに行くことがどれほど嬉しいことなのかを聞いたが、メッカに行くムスリムもこんな気分だろうかと想像したりもした。
最上川舟下りは20年ぶり2回目。子どもの頃は滝とか岩ぐらいしか注目できなかったが、「左右山覆ひ、茂みの中に船を下す」(『奥の細道:五月雨をあつめて早し最上川』)というのがよく分かる。古くから最上川の海運に従事していた人たちの苦労が垣間見えた。
その後、庄内三十三観音の2つをお参りして湯野浜温泉へ。温泉に入り、食事をして、だらだらと過ごす。日常の仕事から解放されて、ヒマだからテレビでも見るしかないというような解放感が嬉しい。時代劇や大相撲を見ていたら「(亡くなった)おじいちゃんと同じだ」と言われた。