今日はお釈迦様が菩提樹の下でお悟りを開いたとされる日。法話の会で取り上げた。
- お釈迦様の悟りとはどんなものであったか。悟りの直前に働いたという漏尽明(煩悩を断つ智慧)と、悟りの直後に説いた四諦八正道の間にある「空白」を埋めるものは何か。
- 悟りを開いても「私の悟ったこの真理は、深遠で理解が難しく悟りがたい」などと言って説法せず、梵天勧請が必要だったのはなぜか。世界には深遠な教えが分かる者がいるということは、悟る前の天眼通で知ることはできなかったのか。
法話の会では、悟りは言葉にできない宗教体験(大地有情同時成道のイメージ)であり、その後に説いた四諦などとは別物と考えるべきであること、梵天勧請は仏教を権威付けるための後世の付加であるという私見を述べたが、「こんな話、意味不明で興味ない?」と思ったのも事実。ちょっとお釈迦様の気持ちがわかったような気がした。
