先生に会う用事があって3ヶ月ぶりに大学に行き、大学院の授業に出させてもらう。インド仏教では『プラマーナ・ヴァールティカ』の自注、推理論を読み始めていた。インド哲学は修士の学生向けに『ニヤーヤマンジャリー』の最初から。インドの授業と比べて、翻訳という作業が授業の大きな割合を占める。原語にぴったり符合する訳語を見つけることはなかなかできない。そのため造語をしたり、漢訳をそのまま使ったりしているのだが、イメージ通りに表現できない歯がゆさは、日本人として外国のものを研究している限りこれからもずっと味わい続けるのだろう。