映画(23)(24)

神様に頼まれた私の夫Navra Maaza Navsaacha(神様に頼まれた私の夫)
知り合いのおばさんから吹き込まれてガネーシャ寺院参りに行きたくなった奥さん。やっとのことで旦那を説得して、お参りにために息子の身代わりとなる等身大のハリボテを作り、バスの座席の下にこっそり隠しておいた。しかしその後、ハリボテの中に強盗がこっそりダイヤを隠す。翌日、たくさんの楽しい客を乗せてバスは出発。途中、歌手のソヌ・ニガム(本物)が乗ってきたり、旅芸人に車掌が集金したお金をばらまいてしまったりと、ハプニングだらけの楽しい旅行が続く。白いシーツをかけておいた人形はケチャップがこぼれたため途中で死体と間違われて大騒ぎ。やがてダイヤを追う警察の手が回ってきた。乗客に扮したダイヤ強盗は誰だったのか、そして人形は無事に寺院まで届けられるのか? はちゃめちゃ喜劇。
映画のほとんどはバスの中。15人以上いる乗客のキャラクターがひとりひとり面白い。ソヌ・ニガム(写真右下)は『カルホーナホー』の主題歌を歌っている歌手で、登場したときは後ろのお姉さんが「ワア!」と驚いていた。
ベーワファーBewafaa(裏切り者)
モントリオールでインド人とカナダ人のハーフとして育った2姉妹アールティ(写真左)とアンジャリ(写真中央右)。インドの大富豪と結婚したアールティは里帰り出産で帰国していた。アンジャリは両親に隠れてミュージシャンのラージャ(写真右)と付き合っていたが、アールティはそのうち両親にとりなしてあげると約束した。
 アールティの出産日。インドから駆けつけた夫のアーディティヤ(写真中央左)を空港で迎えたアンジャリが病院に駆けつけると、双子を産んだアールティはあろうことか産褥で死んでしまっていた。2人の娘を残されたアーディティヤに、両親はアンジャリを嫁がせる。ラージャに連絡もせず、アンジャリは大好きだった姉のために人生を捧げる覚悟をしてデリーに渡る。
 それから3年。娘たちは順調に育っていたがアーディティヤはまだアールティのことが忘れられず、アールティの代わりができないアンジャリは空虚な毎日を送っていた。そこにコンサートのためラージャが来印。再会したアンジャリは夫との間を揺れ動き、悩みは深い。今の生活を捨てて一緒にカナダに帰るよう説得するラージャだったが、やがてアーディティヤの知るところとなって、アンジャリはどちらを選ぶか迫られる。
 そこに駆け込んでくる娘たち。アンジャリは母として今の生活を選んだ。それを目の当たりにしたラージャは、アンジャリにはアンジャリの道があるように、俺には俺の道があるといってインドを後にした。
封切4週間で風前の灯であることから、観客の受けはあまりよくないようだ。1つには悲劇が度を過ぎている。娘を残して死んでしまう妻、亡き妻をいつまでも忘れられない夫、全てを捨てて嫁いだのに夫に愛されない妻、恋人が人妻になったのにひたすら愛し続ける男。悲劇の連鎖で悲しさが増幅して全編に沈痛な雰囲気がのしかかる。アンジャリ役のカリーナ・カプールが眉毛をへの字にした表情をずっと続けるのは見ていて気持ちよいものではない。結末も決してハッピーエンドではなく、フラストレーションがたまる。もう1つは現実感のなさ。2人の娘は幼稚園に通っているものの、映画の中で飾り程度にしか出てこない。豪邸に住むアンジャリは毎日独身のような生活。しかし実際2人も娘がいたら、愛しているとかいないとか、恋人がどうたらとか感傷に浸っている暇もないぐらい子育てに追われるはずだ。新聞の書評にもあったが、25才の若手女優にこの役はありえなかったのではないか。カリーナ・カプールは『時には嬉しく時には悲しく(Kabhi Kushi Kabhi Gham)』、『僕と友達になって(Mujhse Dosti Karoge)』、『ハルチュル(Hulchul)』のときのように男を見下すような高慢な女役が似合う。
 音楽は申し分ない。帰りにメロディーがトラックバックして踊りたくなった。

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